第9章 – 覚醒(4)

文字数 976文字

 覚醒(4)



 玲子は、症状を抑える薬の副作用で、

 どんどん別人のような一面を見せ始めたのだ。

 大声を張り上げたり、時には暴力的になったりするなど、

 だいたいは攻撃的な一面を色濃く見せた。

 彼は母親が何をしようと、相手は病人なんだと強く念じ、

 笑顔を絶やさぬよう努力し続ける。

 ところが順一の仕事は、

 朝早くから深夜に及ぶことが当たり前のようにあったのだ。

 そのせいで彼は次第に、

 疲れと睡眠不足で精神的にも追い詰められていく。

 ほぼ毎晩家に帰れば、散らかった部屋の片付けから始めなければならない。

 その間中も、玲子はじっとしていてはくれなかった。

 まだ玄関のドアロックを外せた玲子は、

 夜中、外をさ迷い歩くことだってあったのだ。

 だから彼は家に帰っても、落ち着くどころか、

 常に軽い緊張感と共にいなければならない。

 昼間はだいたい、仲の良かった近所のおばさん連中が、

 家を交代交代訪ねてくれる。

 そんなこともあって、明るいうちはさしたる問題は起きないのだった。

 しかし辺りが暗くなっていき、夕闇が迫ると、

 どんどんそんな落ち着きがなくなっていく様だった。

「もういい加減にしてくれよ!」

 まだ日も上がらぬ時間、順一は溜まりかねて大声を上げた。

 たった数時間前に片付けたばかりのテーブルに、

 再び茶碗だの皿だのが並べられているのだ。

「母さん! 俺は今日大事な会議があるんだ! どうして寝てくれないんだ
 よ!」
 
 そう嘆く順一の顔を、玲子は不思議そうな顔をして見つめていた。

 そしてそんな玲子に向かって、

 順一はとうとうそれまでの鬱憤全てを吐き出してしまう。

 玲子のせいで自分は一生独身かも知れない……このままでは、

 出世だって諦めるしかないじゃないかと、

 彼は玲子の眼前で声を張り上げてしまうのだ。

 きっとこの瞬間、なぜ、そう言われるのかは分からなくても、

 その言葉の意味だけは理解できていたに違いない。

 しかし実際には、そんな理解などすぐに消え去ってしまうのだ。

 近頃では、記憶していられる時間が、

 ますます短くなってきていたのだった。

 結局それから部屋を片付け、

 その後、彼は一睡もせずに会社へと出掛けていった。

 そしてなんとか会議も終わり、昼食へ出ようとしていた順一に、

 近所の人から電話が入る。

 それは、玲子が行方不明になったという知らせであった。
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