第8章 – 献身 〜 2012年11月(5)

文字数 809文字

 2012年11月(5)
 


 ――まただ!

 見えていた光景が一瞬にして消え失せ、目の前が真っ白に変わる。

 そして次の瞬間には、この現象がこれまでのものと、

 まったくの別物であることを知るのだった。

 後頭部の痛みが尋常ではなかった。

 これまでのような締めつけるようなものではなく、

 まるでハンマーでの一撃を思わせる。

 彼は思わずうめき声を発し、それからゆっくりと起き上がった。

「飯島さん!」

 そんな声もほぼ同時で、薫もすぐに跳ね起き、飯島の傍らへと近づいた。

「救急車を呼びますから!」

 有無を言わせぬそんな響きに、飯島は思わず薫の腕を取った。

 そして、その身体を力一杯引き寄せたのである。

 ダメだ――それはまさに、そう告げたいがための行為であった。

 結果、飯島に抱きかかえられるような格好となるが、彼女の手はそれでも、

 枕元の携帯を探しているのだった。

「必要ない……」

 飯島はそう呟くと、薫の伸びていた左手に己の手を重ね、

 その動きを完全に封じ込めてしまう。

 そこでやっと薫は、飯島の方へと再び顔を差し向けた。

 ――どうして?

 そんな顔を向ける薫の目に、眉間に皺が寄り、

 いまだ辛そうな飯島の顔が映る。

 しかしその目は、しっかりと薫の視線を受け止めているのだ。

 やがて、さっきまで携帯電話を探していた薫の手が、

 飯島によって引き寄せられた。

 すると彼女の左手は、飯島の手から離れた後も、

 まるで彼の意思に沿うかのように、その背中へと動いていく。

 背中にそんな指先を感じながら、

 彼はゆっくりとその身体を横たえていくのだった。

 その時一瞬、薫は少しだけ抗う気配を見せる。

 しかしすぐに身体の力を抜いて、そのまま飯島の重みを受け止めていった。

 もはや、意味もなく畳にあった右手も、

 彼の背中へと添えられ......

 それからしばらくして、薫の規則正しい寝息が聞こえ始めた頃、

 飯島はひとり......隣の部屋に、いたのである。
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