第4章 – 現れた女(16)

文字数 907文字

 現れた女(16)



 昨夜はきっと、玄関の鍵を閉め忘れていたのだ。

 そしてさらには、鳴らされたであろうチャイムに、

 彼はまるで気がつかないでいたのだろう。

 だから触れてみたドアノブは簡単に回り、

 心配した彼女は玄関へと足を踏み入れた。

 それから30分後、しっかりとパジャマに着替えた飯島は、

 でき立ての粥を目の前にする。

 息を吹きかけながら口元へと運ぶその姿を、

 佐久間薫が静かに見守っているのだった。

「やっぱり、昨日からずいぶん辛そうでしたもの……」

 そう言って薫は、飯島の着替えを手伝い、

 濡れた服を洗濯機へと放り込んだ。

 さらに汗が染み込んだ敷き蒲団を丸めると、

 まるで大きな旅行バッグのように抱え込み、彼の部屋からそのまま消えた。

 そしてすぐに真新しい敷き蒲団を抱えて、再び部屋へと現れるのだった。

「2階のベランダで干してますから……とりあえずこれで寝てください」

 その声に、飯島が何か言いかけると、

「大丈夫です、これは前田さんに買っていただいた予備の蒲団ですから……」

 だから遠慮なんかするなと言い、自分の部屋から持ち込んだ冷や飯で、

 彼女はさっさと粥を作り始めたのだ。

 それからしばらくして、薫は寝ている飯島を残し、

 ひとりどこかへと出掛けて行った。

「この鍵、貸してもらってもいいですか?」

 靴箱の上に置かれていた鍵を手にした薫のそんな声を聞いたあと、

 彼はすぐに眠りへと落ちる。

 次に彼が目を覚ますのは、

 額に乗せられたタオルの冷たさによってだ。

「ごめんなさい、起こしちゃって。でもちょうど良かった。体温計買ってきた
 んで、測りませんか?」

 薫は飯島の耳元でそう囁き、

 傍らに置かれていたビニール袋に手を伸ばす。 

 彼女は飯島が寝ている間に、近所のスーパーへと走り、

 風邪薬ほか、さまざまなものを買い求めていたのだった。

 そして意識朦朧とする飯島の脇の下に、液晶タイプの体温計を差し入れる。

 結果、熱は思いのほか高くなく、38度ぴったりだった。

「熱って、弱い人強い人いろいろですから……さ、もう一眠りしてくださ
 い……」

 そんなもんか――そう呟いた飯島に向かって、

 再び、薫の声が優しく響いたのである。
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