第11章 – 真実(2)

文字数 1,041文字

 真実(2)



「お母さん……」

 知らない男の後ろから、美しい、長い髪をした女性がそう囁いた。

 お母さん――そんな響きを、彼女は初めて耳にしたかのように、

 首を傾げ、微笑んだ。

 リクライニングベッドを背もたれにして、

 入り口に佇む3人の姿に、彼女は優しげな目を向けている。

 目を覚ましてからの3日間で、

 彼女はおおよそのことを知らされてはいた。

 しかしその全容は覚えてはおらず、ただ自分には夫がいて、

 そこそこに、大きい子供がいるらしいことについては、

 なんとか記憶の隅に留め置くことができていた。

 ――DV夫から逃れて、この街へとやってきた。

 そんな微かに残る記憶に、

 あれが暴力夫? 

 そうは見えないけど? 

 などと重ねて思い、彼女は微笑んでいたのだ。

 そして、入り口から顔を見せた3人こそが、

 まさしく彼女にとって正真正銘の家族だった。

「覚えてる? わたしのこと……?」

 唯がそう言って、順一をすり抜け母親のベッドへと歩み寄る。

 きれいな娘――そんな印象だけを感じ、

 佐和子は首を振って応えるのであった。

「じゃあ……僕のことなんて絶対、覚えてないね……たけるだよ、僕……」

 できうる限りの明るい声で、武は唯の隣に立ち、そんなことを言った。

 すると佐和子はふたりに、

 これまで見せたこともないような穏やかな顔つきを向けるのだ。

 さらにゆっくりと目を閉じ、ほんの少しだけ顎を引いた。

 ふたりはそんな反応を、きっと予測はしていたのだろう。

 しかしそれでも、唯の目には涙が浮かび、

 武も悲しげな顔つきを隠せないでいるのだった。

「いいんだよ……時間はたっぷりあるんだ。ゆっくりと思い出していけばいい
 じゃないか……家族みんなで、なあ、佐和子……」
 
 優しくそう声にしながら、順一が唯と武との間へ歩み寄った。

 そしてふたりそれぞれの肩へ腕を回し、

 力一杯抱きしめていく。

 ――さわこ……

 どこかで確かに、聞いたことがある名前だった。

 きっと遠い昔、わたしはそう呼ばれていたのかも知れない。

 そんな風に思う彼女はついさっきまで、

 薫と呼ばれていたことさえ忘れ去っていた。

 そんな実の母親へ唯と武は、どこかぎこちない印象を残しながらも、

 優しく静かに話しかけている。

 順一はふたりに目を向けながら、

 僕は、嘘を言っている......。

 心の片隅で、そんなことを思っていたのだ。

 ――残されている時間は、あまりに短過ぎるんだ……。

 いつしかそんな思いが、彼の心の大半を、覆い尽くしていくのであった。
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