第7章 – 土砂降り 〜 2010年 3月末(15)

文字数 967文字

 2010年 3月末(15)
 


 果たしてジョンという男は、

 本当に日本人であるかのように話すのだった。

 きっと目を閉じて聞いていれば、

 声の主が日本人ではないなどと、露にも思わないであろう。

 順一はそんなことを、

 マンションのエレベーターの中で、今更ながら思うのだった。

 そこまでのジョンは見事なまでに饒舌で、

 順一の言うことに大きく頷き、全てを受け入れると約束していたのだ。

「その通りです。あれは少しやり過ぎでした。本当に、申し訳なく思っていま
 す……」
 
 だからサイト内から、唯の動画をすぐにでも削除すると彼は答える。

 ナイフを握り締めた時、いざとなれば刺し殺してやろうとまで思ったのだ。

 しかし予想していなかった相手の低姿勢に、

 動画の削除だけで満足する気になりかける。

「もしご心配ならどうでしょう……わたしの作業場はここからすぐです。だか
 ら、一緒にいらっしゃいませんか?」
 
 一番奥まった場所に作られた、

 クラブの中とは思えない静かな個室で、

 ジョンはそんなことを言って人懐っこい笑顔を見せた。

 そしてクラブを出てから、ジョンはとにかく喋り続ける。

 来日することになった経緯や、モデルとしての活動内容など、

 次から次へと話し続けていたのである。

 ところがそんな饒舌が、部屋に入った途端、ピタッと止まる。

 そこは上に細長いマンションの9階で、フローリングにベッド、

 そして三人がけのソファだけという12畳ほどの部屋だった。

 その端にキッチンらしき空間はあったが、

 使われている印象などはまるでない。

「お父さん、いい度胸ですね……」

 そう告げるジョンの顔つきは、明らかにさっきまでとは別物だった。

 その口調も、饒舌な印象が完全に消え失せ、

 ボソッと呟くような感じとなっている。

 この瞬間、順一にも、この状況の危うさは理解できた。

 しかし、理解できたからといって、

 踵を返し、逃げ帰るわけにはいかない。

 なんとしても、さっきの約束を実行させなければ……

 順一はそれだけを念頭に、懸命なる声を上げるのであった。

「削除作業はどこでやるんだ!? ここには何もないじゃないか!?

 パソコンひとつ置いていない部屋で、

 削除作業などあったものではない。

「さっきの約束を実行してくれ! 約束しただろう!」

「約束……? なんのことでしょう……」
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