第9章 – 覚醒(15)

文字数 1,421文字

 覚醒(15)



「もともとは中学の同級生なんだって……お母さんと……」

 唯が左右の足を組み直し、

 順一の知らない大人の顔を見せている。

 そしてずっと身動きせずに聞き入る順一に、

 佐和子と男の馴れ初めまでを、話し聞かせようというのであった。

「でも、結局はおじいちゃんの差し金だから、もちろんそれに乗ったお母さん
 は悪いけど……それでも一番悪いのは、やっぱりおじいちゃんだよ。絶対に
 おかしいって、おじいちゃん……」
 
 そう言って唯は、さも悔しそうな顔を見せる。

 武彦自ら、3人での食事の機会を何度も作り、

 娘と一緒になればいい……そうすれば、

 あとは全てうまくいくようバックアップしていく。

 そんなことを言われたのだから、自分は一切悪くない、

 悪いのは全て佐和子の父親だと、男は唯へと嘯いていたのである。

 実質的に引退した名誉教授とはいえ、

 教授会ではまだまだ武彦に逆らえるものなどいなかった。

 だから彼は明るい己の将来を夢見て、

 佐和子との二度目の結婚を夢見たのかも知れなかった。

 今から1時間とちょっと前、改札口を行き来する何人もが、

 何事かとふたりに目を向けていた。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 下を向いたまま何度もそう呟く唯を、

 順一は抱きかかえるようにして立たせ、

 とにかくタクシーへと乗せていたのだ。

 すると行き先を尋ねる運転手の声に、唯がいきなり顔を上げる。

 そして自宅マンションの名を、彼女は声にしていたのであった。

 ふたりは、タクシーのなかでは一言も口を開かなかった。

 運転手に聞かれたくない……そんな気持ちもなくはなかった。

 しかしそれ以上に、なんと声を掛けたらいいのか、

 いったい、どこから話し始めればいいのかと、

 それぞれが考えあぐねていたのだった。

「もうやんなっちゃう! お父さんあんなところに立ってるんだもん、驚いち
 ゃったわよ!」
 
 唯は部屋に入るなりそう言って、続けざまに驚きの事実を告げていた。

 順一はそんな唯の言葉に、

 ついさっき決めていた覚悟について話していたのである。

「警察に行くって、それってもしかして……お母さんのことで?」

 そんな微笑みながらの言葉に、順一はそうだとも言えず、

 ただ黙って唯の顔を見つめ返す。

「……ってことはさ、まさかお母さんを殺しちゃったって思ってる? ……な
 ら違うよ、お母さん、ちゃんと助かったんだから……」
 
 だからといって、刺してしまったことには違いない。

 そんなことをふと思ったが、それは少なくとも今、

 娘に言うべきことではなかった。

 だから彼は何も言わず、佐和子が助かったという事実を素直に喜んでいた。

 それからの顛末を話し終えて初めて、

 唯は現在の自分について話し出すのであった。

「わたしこう見えて、六本木辺りではちょっと有名なんだ。結構この世界、わ
 たしには向いてるみたい……これはきっと、お母さん似の部分だね、きっ
 と……」
 
 たった1年で3回の引き抜き……そして今や、

 六本木界隈でトップクラスと噂される、

 唯はまさに売れっ子ホステスになっていたのである。

「ここもね……多分あと1、2年でローン返し終わっちゃうんだ……」
 
 そう言って床を指差し笑う唯は、しっかりと大人びた顔を突き出し、

「で? お父さんはずっと何してたの? わたしたちに死ぬほど心配かけ
 て……どこに雲隠れしてたのかしら?」
 
 そんな言葉と共に、順一の顔をしっかりと睨みつけるのであった。
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