第8章 – 献身 〜 2012年 11月(2)

文字数 1,049文字

 2012年 11月(2)
 


 ちょうどその日も、スナックの定休日だった。

 いつものように、朝7時に薫が現れ、

 大盛りの生野菜などを一緒に平らげる。

 そしてふたりはウォーキングへと出掛け、

 足を延ばして海浜公園までやってきていた。

 11月だというのに、降り注ぐ太陽射しは暖かく、

 散歩する人の顔つきもいつもよりも穏やかに映る。

 ベンチに座っていた飯島も軽い睡魔に襲われ、

 知らぬ間に、目を閉じていたのだった。

「飯島さん、ちょっと……」

 そんな声がなければ、彼はきっと熟睡していただろう。

 しかしその声に起こされ顔を上げると、

 薫は既にベンチから立ち上がっており、

 少し離れたところから彼を見つめているのだ。

「ちょっと、そこにいてくださいね……」

 薫はそう続けると、ささっと背中を向けて、

 ベンチからどんどん離れて行ってしまう。

 初めは正直、薫の知り合いか何かだと思った。

 しかし、彼女がその人物の手を引いて戻ってきた時、

 そうではないのだということをはっきりと知った。

 その人物とは、かなりの高齢であろう女性だった。

 この老婆とも言える婦人を見た瞬間、

 飯島はなんとも言えない違和感を覚えていたのだ。

「このお婆ちゃん、迷子みたいで……飯島さん、この施設知ってます?」

 薫はそう言って、老婆の首に下がる名札を指差した。

 そこには、何やら施設名らしき名前が印字されている。

 つくし野の郷――そんな名を、飯島もやはり聞いたことはなかった。

 それからふたりは、名札の住所を頼りに、タクシーでその施設まで向かう。
 
 そして車の中でやっと、老婆に持った違和感の理由を、

 彼も知ることができるのであった。

「お婆ちゃん暑いでしょう? これ、脱ぎましょうね……」

 そんな薫の言葉で初めて、その老婆の格好に意識が行った。

 その日はまさに快晴で、シャツにジャケット姿の飯島でさえ、

 汗ばむほどの陽気であった。

 それなのに、老婆の姿はまるで、極寒の冬山にいるようであったのだ。

 薫は老婆のかぶるニット帽を取り、中綿のオーバーコートを脱がしていた。

 しかし老婆はその中にも、

 ジャンパーや厚手のセーターなどを着込んでいた。

 ある意味彼は、ちゃんと老婆を見ていなかったのだ。

 ただ、薫の言うことに耳を傾け、

 漠然と目を向けていたから、そんなことにも気付かなかった。

 さっきまで老婆の身体は、あまりに丸々太って見えていた。

 しかし肉が垂れ下がり、皺と共に疲れきった印象のその顔は、

 間違っても肉づきのいいものには見えないのだった。
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