第5章 – 崩壊 

文字数 833文字

 崩壊 



 2010年1月中旬

 順一が帰った時、家にはやはり、武しかいなかった。

 キッチンのテーブルには、
 
 いつものように、佐和子からの短い手紙が置かれている。

 文面もいつもと同じ......

 実家で夕食を食べてから帰るというものだった。

 本来であれば、すぐにでも実家へ電話すべきなのだ。
 
 分かってはいるのだが、どうしてもそんな気にはなれない。

 このままじっと、佐和子が帰ってくるのを待とう。

 そう心に決めて、順一はいつものように、

 コートも脱がずにリビングのソファへと腰を下ろした。
 
 相変わらずそのリビングは、順一を快く迎え入れてはいないのだ。
 
 しかしそんなことはきっと、自業自得のなせる業なのだろう。

 家を建てた頃は、決してそうではなかったのだから。
 
 佐和子にしたって、昔から今のように、

 順一に対して冷たい女ではないはずだった。

 結局自分は、妻に対してずっと無理をして来たのだ。

 貧乏であった自分の過去を消し去りたくて、

 裕福な家庭に育った佐和子とも、

 心のどこかで競い合う気持ちがあったのだと思う。

 報酬に釣られ、さっさと商社を退職した時も、

 きっと佐和子を見返してやりたいという感情に、

 心押された部分もあったに違いない。
 
 気がついてみれば、順一は仕事だけの男となっていた。

 妻だけでなく、子供たちにとっても、

 遠い存在となってしまっていたのである。

 そうして今日、唯一自分の居場所であったはずの会社から、

 出て行けというに等しい宣告を受けた。

「東南アジア圏はあの店にかかっているから……よろしく頼むよ!」

 久しぶりに顔を合わす社長が、そう言って順一の肩を叩いたのだ。

 3年前に会社が初めて出店した海外店舗。

 そこへ、副店長として赴任する、

 それが今日、内々に聞かされた辞令であった。

 海外店舗の副店長であれば、それほど酷い人事ではないように思える。

 しかし実際、その店舗における副店長というポストは、

 この時、新たに創設された役職なのであった。
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