第7章 – 土砂降り 〜 2010年 3月末(16)

文字数 950文字

 2010年 3月末(16)



「馬鹿にするな! 」

 病院で感じていた渦巻くような怒りが、

 再び、順一の身体中で吹き出した。

 彼はポケットから小型ナイフを取り出し、

 ニヤついた顔を見せるジョンへと差し向ける。

 それはいざという時のために、渋谷で慌てて購入していたものだった。

 しかしこの場にはいかにも頼りなく、

 もう少し大きいものにすべきだったと......後悔しても始まらない。

 そんな順一の心を見透かしたように、

 ジョンは一向にひるむ気配を見せなかった。

 それどころか、さらに楽しいと言わんばかりの声を上げるのだった。

「お父さん……ここは完全防音だから、いくら騒いでも大丈夫です。さあ、シ
 ョータイムだよ、楽しく、やりましょう!」
 
 そんなジョンの声を、順一は最後までは聞くことができなかった。

 いきなり後頭部に衝撃を受け、

 そのまま顎から地べたへと叩きつけられたのだ。

 下顎から脳天に衝撃が伝わり、一瞬だけ意識が遠のく。

 それを防いでくれたのは、動画に出てきたあの黒い腕であった。

 襟元を掴むと、あの巨漢が順一を軽々と持ち上げたのである。

 そしてその腹目がけて、ジョンの握り拳が叩き込まれる。

――くそっ くそっ くそっ! 

 心の中で己の能天気を恨み、

 頭の中だけでそんな言葉が叫ばれ続けた。
 
 そしてそれからは、まさにサンドバッグと化したのだった。

 最初に叩き込まれた拳によって、

 彼の戦意は見事喪失していた。

 打ち震える怒りだけは燃え続けていたが、

 けれど敵うわけがないと、彼は立ち向かうことを諦めてしまう。

 徹底的に腹を殴られ、倒れては起こされる。

 ごくたまに頬にヒットすると、一瞬だけ意識を失いかけた。

 ただただ息ができず、

 痛みよりも呼吸の苦しさに涙が溢れるのだ。

 殺されるのか?――遠のいていく意識の中で、

 彼は己の死を生まれて初めて意識した。

 口の中はたった数発のパンチで感覚がなくなり、

 舌がどこにあるのかも分からない。

 2、3本折れたと思った奥歯が、

 いつこぼれ落ちたのかさえ気づかなかった。

 そんな順一の腹へと交互に拳をぶち込み、

 ふたりはさも楽しそうに笑っていたのである。

 ――笑ってやがる……

 そう感じた途端、

 冷たい床を身体で感じながら、

 順一は思わずの声を発するのだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み