第10章 – 認 知(14)

文字数 982文字

 認 知(14)



 どこだ……どの部屋なんだ……? 

 2階のポストにはどれも、あるべきところに名札が見当たらない。

 ――彼の部屋の真上に、ちょうど空きがあった。

 突然浮かんだその意味に、彼は今一度、

 さっきまでいた部屋の位置を確認する。

 そしてやっと、彼女の部屋であろう扉の前に立つことができるのだった。

 しかしそのまま扉を見つめ、突然、凍りついたように動かなくなる。

 出てきたら……僕はなんと言えばいい?

 結局、日記をほんの一部しか読んでいない順一は、

 彼女が本当のところ、

 何を望んでいたのかを......知り尽くしてはいないのだ。

 なるようになるしかない……そんな風に思わないと、

 これまでの人生と同じになってしまう。

 そう強く感じて、彼は思い切って声を振り絞るのだった。

「すみません!」 

 佐久間薫――そんな彼女の名前を呼ぶことなく、彼はノックを繰り返した。

 しかし中からは一向に、なんの物音さえ聞こえてはこない。

 どこかへ出掛けているのか? 

 そんなことを思った時、

「あの……佐久間さんならさっき、その部屋から引っ越されましたよ……」

 興味津々といった顔を扉から覗かせ、

 中年を絵に描いたような女性が声を掛けてきたのだ。

「まあ、もともと、こんなアパートにいるって感じの人じゃなかったしね……
 あたしなんか、長年ここに住んでるけど初めてよ、ご丁寧にお饅頭までくれ
 ちゃって……」
 
 2時間ほど前に、そんな菓子折りを持って挨拶に来たと、

 彼女は天の救いとも言うべき言葉を続けていたのである。

 だから礼もそこそこに、駅への道を急いだのであった。

 どうして? どうして?

 そんな言葉を呪文のように唱えながら、彼は弁当屋の前の道を走った。

 総合病院の大きな看板を通り過ぎ、遠くに駅を見ながら走り続ける。

 2時間前……普通に考えれば、もう間に合わないはずだった。

 しかし彼女ならきっと、それまで世話になっていただろう誰かの元へ、

 挨拶をしに寄っているかも知れない。

 そんな時間が2時間近くにまで及んでいればと、

 彼はそれだけを願っていたのだ。

 もはや嘘であろうがなんであろうが、彼にはもうどうでもよかった。

 ただとにかく、今この瞬間の気持ちのまま、

 順一は佐久間薫という存在と会いたかった。

 ――間に合ってくれ!

 そう強く念じ、順一は駅までの道を走り続けるのであった。
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