第6章 – 決意 〜 2012年秋(3)

文字数 967文字

 2012年秋(3)



「すまない……本当に、申し訳ないと思ってるんだ」

 さっきまではしゃいでいた由香の顔が、

 今はもう、その影さえなくしていた。

「いつまでも黙っているわけにはいかないし、だから……」

「分かった! 分かったから、ちょっと黙ってて」

 それは決して大きなものではなかったが、

 その強い意思だけは伝わる、まさに......力のこもった声だった。

 由香の休みの日、飯島はいきなり彼女のアパートを訪ねた。

 そして部屋に上がれと言う由香を説き伏せ、

 近所の古びた喫茶店へと連れ出した。

 ――実は、佐久間さんと付き合ってるんだ……。

 そう切り出した時、その瞬間の由香の顔を、
 飯島は当分......忘れることはできないだろう。

 大きく見開いた目に、みるみる溜まり始める涙……

 飯島を睨み続ける由香の顔には、

 困惑する気持ちすべてが表れ出ているようだった。

 そしてさらに彼は、スナックで一緒の時間を過ごすうちに、

 薫のことが好きになったと続けていた。

 その後しばらく由香は何も言わず、

 ただじっと、目の前のコーヒーカップを見つめていた。

 幸い、モーニングタイムが終わっている時間のせいか、

 客は飯島たちだけだ。

 だからふたりの姿を見つめる目があるとすれば、

 年老いた店のマスターだけであり、そんなマスターも既に、

 今は店の奥へと消え失せている。

 店内はひっそりと静まり返り、微かにジャズの音色が聴こえるだけ。

 そんななか突然、由香が下を向いたまま声にした。

「嘘だ……そんなこと、嘘なんでしょ?」

 きっとその一言を告げるために、由香はずっと考えていたのだろう。

 飯島の告げたことが真実であるという理由を探して、

 じっとこの時を耐え忍んでいたのだ。

 しかしそんなものは見つからなかった。

 だから彼女ははっきりとした口調で、あとの言葉を続けるのであった。

「好きかどうかくらい、男の人の態度を見ていれば分かるもの。だから飯島さ
 んが、わたしのことを、なんとも思っていないのは知っていたわ。でも、人
 の気持ちって変わるから、わたしはそれに期待して待っていたかった。でも
 ね、飯島さん店で、そんな風に見せたことないじゃない? 薫さんが好きだ
 なんて、そんな風に見えたこと、一度だってないわ……」

 だから嘘に決まっていると、彼女ははっきりと言っていた。
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