第3章 – 事情 ・ 2012年1月(11)

文字数 908文字

 2012年1月(11)



 スナックが定休日の午後になると、

 由香は決まって飯島へと電話を掛けてくる。

 それはだいたいの場合、

 冷蔵庫の料理への感想を求めたり、身体への気遣いだったりした。

 そうこうしているうちに、彼はそのまま電話を切れなくなる。

 結果、一緒に買い物へ出掛けたり、

 夕食を共にすることになるのであった。

 けれどそんなことが苦痛かと問われれば、

 飯島にとって決してそうではなかった。

 だからといって、

 今後もすべてこのままの状態というわけにもいかない。

 だからまずはやっぱり、スナックのアルバイトのことなのだ。

 募集をかけてから、既にひと月以上が経過している。

 由香に言わせれば、今時スナックで働こうなんて物好きは少ないうえに、

 さらに調理師免許だなんてことになれば、

「わたしに、ずっと手伝って欲しいっていうことでしょ? はっきり言ってく
 れればいいのに……いつでも弁当屋なんて辞めちゃうから……」

 などと、冗談とも本気ともつかないことを言うのである。

 飯島はもうひと月待ってだめであれば、

 頭を下げて前田に頼むつもりだった。
 
 前田は最近、回復した美穂子と一緒に、

 ワンボックスカーで弁当の移動販売を始めていた。

「ま、ずっと一緒にやれるし……あいつが疲れたら、弁当屋のパートにだって
 代わってもらえるしさ……」

 そう言う前田は先月、美穂子ととうとう正式な夫婦となった。
 
 ずっと首を縦に振らなかった美穂子は、

 懸命に訴える前田の一言で、スッと気持ちが楽になったらしい。

「俺は子供が欲しいなんて思ったことはない! ただ、おまえと俺の子供だっ
 たら、育ててみてもいいかなってくらいのもんだ!」

 そんな前田の言葉によって晴れて夫婦となったふたりは、

 近い将来、身寄りのない子供を引き取り、

 育ててみようなどと話し合っているのだそうだ。

 できれば……そんなふたりの新しい生活を、

 飯島の都合で乱すようなことはしたくない。
 
 だから彼は、扉に張られたアルバイト募集の紙を、

 祈るような気持ちで何度も新しく貼り直すのであった。

 そして、飯島がこの街で生活をするようになって、

 まもなく丸2年が過ぎ去ろうとしていた。
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