第5章 -  6 急転直下(3)

文字数 1,554文字

 6 急転直下(3)
 


 しかしそんな達哉に構うことなく、翔太はそのまま千尋に向けて話を続ける。
「実はさ、あのおじさん、凄い人だったんだよ。ほら、タクシーの、長野で旅館紹介してくれた人、あの人がさ、俺たちと出会うちょっと前に、警察庁長官に相談したらしいんだな……それで、車のナンバーから林田商事の車両だって分かってさ、それからずっと、警察が内偵していたらしい」
「で、その長官さんに相談できるくらいの凄い人って、いったい何?」
「あのおじさんさ、元、警視総監だったんだって……」
「警視、総監……?」
 千尋が呟くようにそう言って、その目をゆっくり達哉に向けた。
 すると達哉は囁くように、
「俺さ、ちょっと大声を出すと、背中やら胸がすげえ痛むんだ。でもさ、この際思い切って、言わせてもらうよ」
 そう言ってから、深呼吸をしてみせる。そうして二人が何事なんだと見つめていると、彼はいきなり声を荒げて言ったのだった。
「なに話してるか、ぜんぜん分からないよお! もうちょっとさ! 俺にも分かるように話してくれよ! お願いしますって!!」
 そんな大声を上げた後すぐ、彼は思いっきり顔をしかめた。
 安藤正裕。
 長年警察にいたせいだろう。
 しかし現場にいたのは、若い頃のほんの数年間だけなのだ。
 それでも彼は車のナンバーを忘れなかった。
 ――もしかしたら? 
 そう感じたその日のうちに、彼は東京の霞ヶ関まで出掛ける。そして大学の同級生だった警察庁長官、本田雅人に面会し、事件を調べ直すよう依頼した。
 ところがあっという間もあったかどうか、まさしく即行、「馬鹿なことを言うな」と一蹴されてしまうのだ。
「あんたはとっくに引退したんだぜ。もう、馬鹿なことに首を突っ込まないで、静かな余生だけを念頭においたらどうなんだ? きっと亡くなった奥様も、その方が喜んでくれるだろうしな……」
 終始笑顔だったが、それが余計に癇に障った。
 さらに〝亡くなった奥様〟などと口にされ、一気に昔の記憶が蘇る。
 元々、大学時代に付き合っていたのは本田の方で、彼から奪い取った形で二人は夫婦になったのだった。
 当然、本田は根に持った。
 それがちょっとだけ度を越していて、彼は目標だった筈の官僚への道をさっさと捨て去る。それから安藤と張り合うように国家公務員試験に合格し、キャリア警察官として警察庁に勤務する。それから何かとぶつかり合って、不思議なくらい同時期に、二人は警察組織の頂点へと上り詰めた。
 しかしそれから一年と経たないうちに、安藤の妻、優子が癌だと宣告される。
 そうしてあれよあれよという間に、彼を残して他界してしまった。
「俺と一緒だったなら、きっと、こうはなっていない……」
 優子の葬儀ですれ違いざま、本田がコソッとそう囁いたのだ。
 安藤は確かに、ずっと仕事の虫だった。
 しかし本田だって一緒だった筈で……。
 ――どうしてお前が、そんな言葉を口にできる!?
 心で何度もそう唱え、涙がドッと溢れ出た。
 そんな記憶が蘇り、彼は心にあった言葉を一気に捲し立てたのだった。
「この大馬鹿野郎! いいか? 死んじまったやろうと一緒に働いていたやつが、偶然やらなんやらであんなところに現れるか? 普通、そんなことがあるわけないだろうが! それもスーツ姿にデッカイ外車で乗り付けて、まさかハイキングしてましたって思うのか? 俺はな、その死んだやつと、おんなじ集落で生まれ育ったんだ。だから分かる……あんなところから川底に落ちるなんざ、普通なら考えられんし、絶対、何かあったに決まってるんだ! それにな! 林田商事ってのを調べてみろって! きっとな! 埃の三つや四つは絶対出てくる! だからいいか? そこんところから攻めていきゃ、どうにでもなるだろうって言ってんだよ!」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み