第1章 -   4  山代勇(6)

文字数 1,891文字

 4  山代勇(6)
 

 そうして古びたビルに連れ込まれ、金融業者らしい会社の一室で説明を聞いた。
 それでもワケがわからなかった。
 どうして自分が払わなきゃならない?
 何度もそんな自問自答を繰り返し、それでも結局、翔太は念書にサインした。
「まあよ、どうしようもねえ野郎だがさ、それでもアイツがいなかったらよ、あんただってこの世に生まれてねえんだから、ま、そこんところでさ、よろしく頼むよ」
 それが、男の発した最後のセリフで、翔太も実際おんなじことを考えていた。
 子供の頃、ずっと思い続けていた父親が、やっと目の前に現れた。
 残念ながら消え失せて、さらに借金まで押し付けられたが、それでも生きていたってことには変わりない。
 山代はきっと、アパートで何かを見つけて知ったのだ。
 母親が死んで施設に移った時に、母の持っていた母子手帳と二冊のアルバム、そしてほんの少しの身の回りのものだけ持ってアパートを出た。
 だからきっと、母子手帳かアルバムだ。
 どっちを見たって気付くだろうし、だから病室に現れた時、どうにも様子が変だった。
 ――だからって、どうして借金ってことになるんだよ!
「天野由美子ってさ、あんたの母ちゃんだろ? その天野由美子って女とさ、あの山代との間に生まれたのがあんた、天野翔太くんって、ワケなんだよ……」
 そう言って差し出された白黒写真に、母、由美子だろう若い女性と、やっぱり若々しい山代の姿が写っていた。二人は頬をピタッと寄せ合って、どう見たって恋人同士だって感じに見える。
「だからよ、グダグダ言わずに、念書にサインしてくださいよ」
 月々利息分の十万円を返済し、元本についてはある時払いでいいとある。
 それではいったい、返し終わるのはいつ頃になるのか? そんな疑問を心で幾度も唱えつつ、翔太は男の事務所を後にした。
 それから地獄のような生活が始まった。
 利息分だけの返済じゃ、いつまで経っても借金は減らない。だから月に三十万は返そうと、翔太は朝から晩まで死に物狂いで働いたのだ。
 朝早くから工事現場で動き回って、夜はこれまで通り「DEZOLVE」でも働いた。
 日に日に体重が減っていき、ただでさえ細かった身体がますます〝枯れ木〟のように削られていく。さらに元々、たまに痛むことのあった胃が、こうなって毎日のように翔太のことを苦しめた。
 決まってだいたい夜明け近く、眠りに就いて数時間が経った頃だ。胃がチクチクと痛み出し、どうしたって目が覚める。そんなのはすぐには治まってくれず、眠るのを諦め、起きてしまうことも多かった。
 そんな日が週に何度もあって、次第に睡眠不足にも慣れていく。
 そうして三年近くが経った頃、そんな生活を捨て去る時がやってきた。
 三日間ほど胃の痛みが続き、その夜はあっという間に眠りに落ちる。胃痛も幸い起こらない。 だからいつもと違って朝までぐっすりの筈だったのだ。
 なのにどうして目が覚めたのか? 
 深い眠りから無理やり引き摺り出された印象で、正直目を開けるのも辛かった。
 ――今、何時なんだ?
 そう思って布団から腕を出し、頭の上にある筈の目覚まし時計に手を伸ばす。
 ところがそこには何もないのだ。
「あれ?」と思って、頭までかぶっていた布団から顔を出し、翔太が頭上に目を向けようとした時だった。
「えっ」と思わず声に出て、そこで慌てて上半身だけ跳ね起きた。
 暖房など付けずに寝ているから、当然部屋は冷え切っている。
 ところが寒いどころの騒ぎじゃなかった。
 部屋の中を風がピューピュー吹き抜けて、まるで表にいるようなのだ。
 ――どうしてだ?
 年を越し、まだ二月になったばかりという真冬の夜に、窓を開け放して眠る馬鹿などどこにもいない。
 なのにだ。窓が大きく開いていた。
 慌てて窓に近付いて、顔を表に出してみる。
 もちろんそこには誰もおらず、雑草だらけの小さな庭があるだけだ。
 外はまだ真っ暗で、となればさっさと寝てしまう以外にやることはない。夜空を眺めながらそう決めて、彼は開け放たれた窓を閉めようとした。
 その瞬間、「ガタン」と後ろの方から音がする。
「えっ」と思って振り返り、辺りを見回そうとした時だった。
 いきなり何かが部屋の隅っこから飛び出した。そのまま翔太の目の前を通り過ぎ、玄関へと続く短い廊下に入り込む。
 そこでやっと、飛び出した何かが人間で、窓が開いていた理由が知れた。
 侵入者はあっという間に玄関口に到達し、内鍵を開けようと何やらガチャガチャやっている。翔太もすぐに玄関口まで走っていって、侵入者の背中に向けて大声を出した。
「お前は誰だ!」
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