第1章 - 2 平成三十年(6)

文字数 1,264文字

 2 平成三十年(6)

「でも、こんなのも、ぜんぜん覚えてないんですか?」
 そんなことを言いながら、吉崎は妙に嬉しそうな顔をする。
 しかしこんなにガリガリで、ボクシング経験者を一発で気絶させる。なんとも驚くような話だが、いったいどんな人生を送ってきたのか?
「俺って、どんな人生を、送ってきたんだろうか?」
「そう、なんですよね……翔太さん、うちに勤める前のこと、ぜんぜん話してくれないからな、よくね、みんなと話すんですよ。きっと、何人か殺してるんじゃないかって」
 それできっと、三年前くらいまで務所暮らしだった。
「まあ、それは冗談ですけどね。でもホント、不思議っすよ。翔太さん頭いいし、すっげえ人間としても素晴らしいのに、どうしてこんな……あ、まあ、そう新しくないアパートにさ、いい歳こいて、ねえ……」
 いい歳こいて、こんなボロアパートに一人暮らし。
 きっとこうなった理由はしっかり存在するのだろうし、それは人に話したくないような過去なのかも知れない。
 ただとにかく、彼のお陰で〝とりあえず〟のことは知ることができた。
「明日、またクルマで来ますから。もし行けるようなら、現場まで一緒に行きましょう」
 そう言ってくれた吉崎だったが、もちろん仕事に行く気などさらさらなかった。
 だからその翌日、彼が現れるよりぜんぜん前に、シャツとジーンズに着替えてアパートを出た。
 事故があってこうなったんだから、もう一度、同じように事故に遭いさえすればきっと戻れる。達哉の出した結論はこうで、これがダメだったら――などと考えたところで始まらないのだ。
 あの日、八雲の家から走ったから、事故に遭ったのは都立大学駅と自由が丘の中間辺りだ。天野翔太のアパートは東京の外れにあって、駅周りの発展から取り残されたような多摩川沿いの住宅街にある。
 いくら未来だって、三千円あればタクシーでだって足りるだろうが、それでも彼は大事をとって電車に乗ろうと駅に向かった。
 そこで目にした光景こそが、まさに初めて目にする未来の姿だ。
 彼は何度も息を呑み、目を点にして驚いた。
 ――凄え……。
 なんて言葉が口から漏れて、駅周りに広がる光景すべてに目を奪われる。
 ――ここが、〝二子玉川園〟かよ!?
 何度か来たことのある東急線の駅が、まるで別物になっていた。デカさがまったく比較にならず、視界に収まりきらないビルがいくつも並び、連なっている。
 さらに改札口までやってきて、駅名までが変わっているのに気が付いた。
 ――〝二子玉川〟って、まさか、遊園地がなくなったってこと……なのか?
 本当に、自分は未来に来てしまった。
 そんな事実を「これでもか!」ってくらいに突き付けられて、達哉の心は情けないほど縮こまってしまうのだ。
 達哉の時代にだって券売機は自動だったし、自動改札機もあるにはあった。
電車ももちろん石炭じゃない。ドアだってちゃんと自動で開閉してた。あの頃ちょうど新玉川線が開通したばかりで、ステンレス製の車両も記憶の中にちゃんとある。
 ところが何から何までぜんぜん違った。
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