第8章 -  3  1980年 五月三日 土曜日(10)

文字数 882文字

 3  1980年 五月三日 土曜日(10)



「あなたなの!? 本当に浩一! あなたなの!?」
「分かりません……分かりません、けど……」
「いいえ、浩一よ! 浩一なのよ!」
「そう、なんでしょうか……」
「そうなの、きっとそうよ……」
 そこで、しゃがみ込んだままの翔太を抱きしめ、
 ――そうなの、そうなのよ……。
 まさみは何度もおんなじ言葉を口にする。
「そうなの、そうなのよ……ごめんなさい、わたしが、馬鹿だったわ……」
 そう言いながら、すでにまさみの声は大いに震え、目からは涙が溢れ出ている。
 達哉からは翔太の顔は見えなかったが、震える声がすべてだった。
「母さん! どういうことだよ!」
 そんな達哉の必死の声に、まさみの答えが途切れ途切れに発せられた。
「ホクロをね、見つけた時、右にあったの、新生児室に……いる時にね、その時、初めて見つけて、それが、わたしから見て、右側だった。だから……それって、赤ちゃんの左足よね、ホント、馬鹿みたい、我ながら、笑っちゃうわ……」
 そう声にしてから、ひと呼吸と少し……間が空いた。
 まさみの身体は小刻みに震え、呼吸の度、背中が大きく揺れている。
 そんな状態から再びだ。
 まさみが「わあっ!」と大声を上げた。
 涙ながらに何度も何度も声を上げ、その都度翔太の身体を力一杯抱きしめる。
「ごめんなさい! ごめんなさい! 本当に……ごめんなさい!」
 そのうちに、翔太の腕がゆっくり動き、まさみをしっかり抱きしめるのだ。
 一方、達哉もまさみの言葉ですべてを悟り、翔太の素足に目を向けた。ところが左の素足は床に付き、足の裏っ側は目にできない。
 それでもきっと……あるのだろう。
 手のひらだったら、人差し指のちょっと下ってところに……。
 ――ちゃんとホクロがあったんだ。
 そんな確信を心に思い、彼はゆっくり達郎のベッドへ近付いたのだ。
 ――父さん……兄さんが……。
 呪文のようにそう唱えつつ、彼は父の顔に目を向ける。
 それから続いて浮かんだ言葉……、
 ――兄さんが、見つかったよ。
 そう声にしようとした時だった。
 見つめた先に、涙に濡れた頬が映った。
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