第2章 - 1 四十一年前(5)
文字数 1,251文字
1 四十一年前(5)
あいつとは、やはり天野翔太のことだった。
六十一歳でいきなり高校生の身体になって、達哉とは違った困惑だってあっただろう。
ただとにかく、彼は一流大学に入学し、まゆみに〝達ちゃん〟なんて呼ばれるくらいになっていた。
――俺とは、大違いだもんな……。
驚くくらいに誰にだって好かれ、それ以上にすべての人に優しかった。それは彼に対する周りの態度で分かったし、そのお陰で達哉もずいぶんと助けられた。
彼が部屋で覚醒した時、驚きすぎて気付かなかったが、目の前には書きかけのノートが置かれていたのだ。ついさっき、そんなことにも気が付いて、目を向けた途端に心臓が止まりそうに驚いた。
〝藤木達哉さん、ありがとうございました〟
こんな文字が目に飛び込んできて、彼はそのノートを大慌てで手に取った。
自分の字じゃないのはすぐわかったし、見たことがないかって言えばそうじゃない。
天野翔太の文字だった。
達哉になってからじゃなく、それ以前に書き残された文字そのものなのだ。
きっと達哉の身体になってからも、たくさんの文字を書き続けたのだろう。小学生のような達哉の文字を、日々の鍛錬で自分の文字にしていった。
そこにあるのは達筆というべき大人の文字で、まさしく達哉の知っている天野翔太の文字だった。
〝最後の最後で、最高の時間をプレゼントされた気分です〟
〝あなたが戻って来るのかは分かりませんが、とにかく、心から感謝いたします〟
〝ご両親を、大切にしてくださいね〟
〝本当に、ありがとうございました〟
それから最後に、「天野翔太」と書かれてあるのだ。
――最後の最後で?
――まさか癌だって、知ってたのか?
それにしたって、いつ、何時何分に入れ替わるってこと、あいつは知っていたのか?
――じゃなきゃ、どうして……?
あんなノートを前に座っていたのか?
そう考えた途端だった。
達哉の知っている天野翔太が勉強机に向かい、何か書き込んでいる姿が思い浮かんだ。
それはもちろんシワだらけの老人で、今にもポキンと折れてしまいそうにか細い体躯のままなのだ。
――クソっ……。
もちろん、戻って来れたのは最高に嬉しい。
実際、最後の方では達哉だったことさえ忘れていたし、あのまま死んでしまったって不思議じゃなかった。
だからって、手放しで喜んではいられない。あんなに辛く厳しい人生で、最後のたった二年間が楽しかったからって……。
――何が、ありがとうだよ!
「おまえ! 馬鹿じゃねえのか!?」
達哉は無性に腹が立ち、
「ふざけんなよ! ありがとうとか、言ってんなよ!」
天野翔太への熱い思いが声となって溢れ出る。
「ホント! 馬鹿だよ! 馬鹿野郎としか、言いようがねえって!」
そんな言葉が次から次へと飛び出して、終いに達哉は立ち上がり、手にしていたノートを壁に向かって投げ付けた。
「パン!」という音がして、大学ノートが壁からストンと真っ直ぐ落ちる。
そんなのと同時に、部屋の扉がゆっくり開いて、まゆみが顔を出したのだった。
あいつとは、やはり天野翔太のことだった。
六十一歳でいきなり高校生の身体になって、達哉とは違った困惑だってあっただろう。
ただとにかく、彼は一流大学に入学し、まゆみに〝達ちゃん〟なんて呼ばれるくらいになっていた。
――俺とは、大違いだもんな……。
驚くくらいに誰にだって好かれ、それ以上にすべての人に優しかった。それは彼に対する周りの態度で分かったし、そのお陰で達哉もずいぶんと助けられた。
彼が部屋で覚醒した時、驚きすぎて気付かなかったが、目の前には書きかけのノートが置かれていたのだ。ついさっき、そんなことにも気が付いて、目を向けた途端に心臓が止まりそうに驚いた。
〝藤木達哉さん、ありがとうございました〟
こんな文字が目に飛び込んできて、彼はそのノートを大慌てで手に取った。
自分の字じゃないのはすぐわかったし、見たことがないかって言えばそうじゃない。
天野翔太の文字だった。
達哉になってからじゃなく、それ以前に書き残された文字そのものなのだ。
きっと達哉の身体になってからも、たくさんの文字を書き続けたのだろう。小学生のような達哉の文字を、日々の鍛錬で自分の文字にしていった。
そこにあるのは達筆というべき大人の文字で、まさしく達哉の知っている天野翔太の文字だった。
〝最後の最後で、最高の時間をプレゼントされた気分です〟
〝あなたが戻って来るのかは分かりませんが、とにかく、心から感謝いたします〟
〝ご両親を、大切にしてくださいね〟
〝本当に、ありがとうございました〟
それから最後に、「天野翔太」と書かれてあるのだ。
――最後の最後で?
――まさか癌だって、知ってたのか?
それにしたって、いつ、何時何分に入れ替わるってこと、あいつは知っていたのか?
――じゃなきゃ、どうして……?
あんなノートを前に座っていたのか?
そう考えた途端だった。
達哉の知っている天野翔太が勉強机に向かい、何か書き込んでいる姿が思い浮かんだ。
それはもちろんシワだらけの老人で、今にもポキンと折れてしまいそうにか細い体躯のままなのだ。
――クソっ……。
もちろん、戻って来れたのは最高に嬉しい。
実際、最後の方では達哉だったことさえ忘れていたし、あのまま死んでしまったって不思議じゃなかった。
だからって、手放しで喜んではいられない。あんなに辛く厳しい人生で、最後のたった二年間が楽しかったからって……。
――何が、ありがとうだよ!
「おまえ! 馬鹿じゃねえのか!?」
達哉は無性に腹が立ち、
「ふざけんなよ! ありがとうとか、言ってんなよ!」
天野翔太への熱い思いが声となって溢れ出る。
「ホント! 馬鹿だよ! 馬鹿野郎としか、言いようがねえって!」
そんな言葉が次から次へと飛び出して、終いに達哉は立ち上がり、手にしていたノートを壁に向かって投げ付けた。
「パン!」という音がして、大学ノートが壁からストンと真っ直ぐ落ちる。
そんなのと同時に、部屋の扉がゆっくり開いて、まゆみが顔を出したのだった。