第1章 - 5 天野翔太(藤木達哉)(4)
文字数 1,546文字
5 天野翔太(藤木達哉)(4)
当然彼は大反対で、理由を聞くまで受け入れられない……と言い張った。
それでも許して欲しいと懸命に告げて、達哉はただただ頭を下げる。
そうしてようやく吉崎涼も諦めた。気が変わったら、いつでもいいから連絡が欲しいと言い残し、悲しそうな顔して車に乗り込み帰っていった。
それからは、朝から晩まで、したいことをして一日を過ごした。
朝起きて、好きなところを散歩する。
それからずいぶん遅い朝食を取り、だいたいは本屋に出掛けて気に入った本を買う。
最初の一週間は、本ばかり読んで一日が終わった。きっと本来の達哉であれば、こんなこと絶対したいなどとは思わない。
天野翔太としての記憶が戻ったせいか、日に日に達哉だった頃の記憶が薄れ、ふと気付けばただただ天野翔太を生きている。そんなことにふと気付いても、その頃の彼はそれほどショックを受けないでいられた。
癌だと知って、ひと月近くが経った頃だ。
いつものように散歩していて、いきなり何かにつまずいた。
身体がフワッと前のめりになって、
――まずい!
以前の入院騒ぎが頭を過り、慌てふためいて足を必死に動かしたのだ。
それがかえって大失敗。踏み出そうとした足が地べたをこすって、そのまま頭から突っ込んでしまった。
思わず「うわっ」と声を上げ、左の頬と地べたがガツンとブツかる。
あまりの痛みにしばらくうずくまったまま動くことができない。
そうしてようやく、彼が立ち上がろうと決意した時だ。
「大丈夫ですか!?」
走り寄る足音とともに、女性の慌てた声が耳に届いた。それからすぐに胸の辺りに手が差し込まれ、誰かが抱き起こそうとしてくれる。
そんな女性の手を借りて、彼がなんとか立ち上がって見れば、正面に見知らぬ女性が立っていて、心配そうに見つめる顔が真正面にあった。
彼は礼を言おうとその女性を見つめ、実際ひと言ふた言何かを告げた。
「すみません」だったか、「ありがとう」と言ったのか、とにかく何かを声にした後すぐ、続ける言葉を失ってしまった。
――俺はこの人と、どこかで会ったことがある!
――それは、なんでだ?
頭の中でそうなった理由を必死に探し、
――この時代でか? それとも以前でだったか?
――いや、それならとっくに墓の中だ!
そう感じた瞬間に、目の前の女性が不安げな笑みを浮かべて、彼に向かって問いかけたのだ。
「まだ、お具合悪いんですか?」
彼が訳がわからずキョトンとすると、彼女はさらに沈んだ声で言葉を続けた。
「ここひと月くらい、ぜんぜんいらっしゃらないから、本当に心配していたんですよ。こんなことなら、お住まいがどこかくらい、聞いておけば良かったって、後悔してたんですから……」
ここのところ……よく胃が痛み、医者に行こうかと思ってる。
そんな話を聞いてから、彼は一切、彼女の前に現れなくなった。
「あの公園には、もういらっしゃらないんですか?」
そんな言葉を聞いた途端に浮かび上がったのは、不思議なくらいに鮮明な景色。
――そうだ……河川敷にある、公園だ……。
暗闇から一気に抜け出たように、それはあまりに鮮明なるものだった。
毎朝のように川っぺりまで散歩して、河川敷にある公園のベンチに腰を下ろして本を読み、辺りの景色に目を向ける。そうして季節折々の変化をしばし楽しんで、帰宅するのが天野翔太の習慣だった。
実際、そのコース自体は違ったが、今もそんな習慣はほぼほぼ変わっていないのだ。
そして以前、目の前の女性が河川敷の公園に姿を見せるようになる。必ず小さな犬を連れていて、彼は確かに彼女のことを知っていた。
「綾野さん……でした、よね?」
そう言って声を掛けたのは、そこそこ気になっていたからに違いない。
当然彼は大反対で、理由を聞くまで受け入れられない……と言い張った。
それでも許して欲しいと懸命に告げて、達哉はただただ頭を下げる。
そうしてようやく吉崎涼も諦めた。気が変わったら、いつでもいいから連絡が欲しいと言い残し、悲しそうな顔して車に乗り込み帰っていった。
それからは、朝から晩まで、したいことをして一日を過ごした。
朝起きて、好きなところを散歩する。
それからずいぶん遅い朝食を取り、だいたいは本屋に出掛けて気に入った本を買う。
最初の一週間は、本ばかり読んで一日が終わった。きっと本来の達哉であれば、こんなこと絶対したいなどとは思わない。
天野翔太としての記憶が戻ったせいか、日に日に達哉だった頃の記憶が薄れ、ふと気付けばただただ天野翔太を生きている。そんなことにふと気付いても、その頃の彼はそれほどショックを受けないでいられた。
癌だと知って、ひと月近くが経った頃だ。
いつものように散歩していて、いきなり何かにつまずいた。
身体がフワッと前のめりになって、
――まずい!
以前の入院騒ぎが頭を過り、慌てふためいて足を必死に動かしたのだ。
それがかえって大失敗。踏み出そうとした足が地べたをこすって、そのまま頭から突っ込んでしまった。
思わず「うわっ」と声を上げ、左の頬と地べたがガツンとブツかる。
あまりの痛みにしばらくうずくまったまま動くことができない。
そうしてようやく、彼が立ち上がろうと決意した時だ。
「大丈夫ですか!?」
走り寄る足音とともに、女性の慌てた声が耳に届いた。それからすぐに胸の辺りに手が差し込まれ、誰かが抱き起こそうとしてくれる。
そんな女性の手を借りて、彼がなんとか立ち上がって見れば、正面に見知らぬ女性が立っていて、心配そうに見つめる顔が真正面にあった。
彼は礼を言おうとその女性を見つめ、実際ひと言ふた言何かを告げた。
「すみません」だったか、「ありがとう」と言ったのか、とにかく何かを声にした後すぐ、続ける言葉を失ってしまった。
――俺はこの人と、どこかで会ったことがある!
――それは、なんでだ?
頭の中でそうなった理由を必死に探し、
――この時代でか? それとも以前でだったか?
――いや、それならとっくに墓の中だ!
そう感じた瞬間に、目の前の女性が不安げな笑みを浮かべて、彼に向かって問いかけたのだ。
「まだ、お具合悪いんですか?」
彼が訳がわからずキョトンとすると、彼女はさらに沈んだ声で言葉を続けた。
「ここひと月くらい、ぜんぜんいらっしゃらないから、本当に心配していたんですよ。こんなことなら、お住まいがどこかくらい、聞いておけば良かったって、後悔してたんですから……」
ここのところ……よく胃が痛み、医者に行こうかと思ってる。
そんな話を聞いてから、彼は一切、彼女の前に現れなくなった。
「あの公園には、もういらっしゃらないんですか?」
そんな言葉を聞いた途端に浮かび上がったのは、不思議なくらいに鮮明な景色。
――そうだ……河川敷にある、公園だ……。
暗闇から一気に抜け出たように、それはあまりに鮮明なるものだった。
毎朝のように川っぺりまで散歩して、河川敷にある公園のベンチに腰を下ろして本を読み、辺りの景色に目を向ける。そうして季節折々の変化をしばし楽しんで、帰宅するのが天野翔太の習慣だった。
実際、そのコース自体は違ったが、今もそんな習慣はほぼほぼ変わっていないのだ。
そして以前、目の前の女性が河川敷の公園に姿を見せるようになる。必ず小さな犬を連れていて、彼は確かに彼女のことを知っていた。
「綾野さん……でした、よね?」
そう言って声を掛けたのは、そこそこ気になっていたからに違いない。