最終章 - 2  2020年(3)

文字数 1,138文字

 2  2020年(3)



「冗談だよ、冗談に決まってるじゃん、お袋もさ、いちいち間に受けないでよ」
 達哉は慌ててそう返し、それでも本当のところは、ほんの少しだけ思っていたのだ。
 ――あの日って、今日だったなんてこと、ないよな? 
 そんなことをふと思い、口から出たのがさっきの言葉であったのだ。
 薄らぼんやり残っている記憶では、決して三十日じゃなかったと思う。
 六月をなん日か残した頃に、七月までは無理だろう……なんてことを思っていた自分が確かにいたのだ。
 それでもだ。
 もしかしたらだが……そう思ってから数日経って、死んだのかもしれないし、
 ――俺って、ずっと意識はあったよな?
 などと、急に不安になったのだった。
 しかしまさみの叱責を受け、すぐに達哉は思い直した。
 あの時、外はまだまだ明るかったように思う。
 ところがすでに辺りは暗くなり始め、窓から見える空の感じはまさに夕闇間近だ。
 それに翔太本人も、浩一となってからは持病だった胃痛もなくなり、もちろん人間ドッグだって異常はなしと聞いている。となれば、なんの心配もいらないし、きっと今頃、どれを買おうか悩みに悩んでいるのだろう。
 そんなことしっかり思い、達哉は明るく告げたのだ。
「ようし、とりあえず、軽く乾杯しちゃおうかね」
 そんな達哉のひと声に、千尋は「仕方がないなあ」などと口にしながら、その手は缶ビールへと伸びている。
 まもなく日没。
 きっともうすぐ、結衣美もやってくるはずだ。
 浩一の方も、どんなに遅いったって、そろそろ帰ってくるだろう。
 リビングにいる三人ともがそう思い、全員揃う時間を今か今かと待っていた。
 そしてちょうど同じ頃、門のところに見知らぬ男が立っていた。
 見るからに、裕福そうなスーツを着込み、何をするでもなくただただジッと動かない。
 その顔には数えきれないシワが刻まれ、それなりの年齢なのだとすぐに分かった。さらに特徴的なのは、左右のあまりに太い眉毛に、その中央にある驚くほど大きな「ホクロ」の存在だ。
 黒豆でも付いているのかという印象で、きっと目にした者はしばらく忘れることなどできないだろう。
 誰かを待っているのか? 
 藤木家の門の真ん前で、〝とうせんぼ〟でもするような感じで立っている。
 それでも時折、辺りの景色に目をやって、何かを探すような素振りは見せた。しかし目当ての何かは見つからず、視線はいつもゆっくり動いて下を向く。
 そんなことを繰り返すうちに、男から少し離れたところにうっすら何かが浮かび上がった。初めは影のようだったそれは徐々に色を持ち始め、その姿がだんだんはっきりし始める。
 そうしてしっかり現れたものを見つめ、男は静かに告げるのだった。
「さて、時間切れで、ございます……」
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