最終章 - 3  四十九日

文字数 1,838文字

 3  四十九日
 


 昭和三十二年、五月五日生まれだから、六十三年と、五十六日間の人生だった。
 これが、知っていたものと寸分違わぬものなのか、それとも多少は違っていたのか、今となっては知りようもないし、今さら達哉が知ったところでどうしようもない。
 ただ少なくとも、苦しい闘病生活の結果でなかったことは、心の底から、良かったと思えた。
 あの日、藤木浩一は駅前のスーパーに向かう途中で気を失い、そのまま帰らぬ人となっていた。
 はっきりした原因は不明なままで、病院から連絡を受けた時にはすでに死亡確認が為された後。
 そして今日、四十九日の法要を終え、達哉夫婦と千尋が墓の前に立っていた。
 元々、藤木家先祖の墓は北海道にあって、ここは達郎の為に購入していた公園墓地だ。
 まさみは北海道からやってきた親族の相手をしており、そんな空間から逃れるように、三人は納骨の後も墓の前から動かなかった。
 そうして誰も口を開かず、一分くらいが経った頃、やっと千尋が妙に明るく声にした。
「でも、あれよね、まさかさ、お義父さんの後が、あの人になるなんてね、わたし、微塵も思ってなかったわ」
「そりゃあ、誰だって、おんなじだよ」
「でも、そう言う達哉くんは、なんとなく思ってたんじゃない? もしかしたら、同じことになるんじゃないかって……だってさ、あっちの世界でも、彼、同じ頃に亡くなっているわけでしょ? だから、もしかしてってさ、思ってなかった?」
「それでもぜんぜん違うって、病気になって、さんざん苦しんだってわけじゃないし、それに、一番はさ、本当の両親と会えたんだぜ、だから……ぜんぜん違うよ……」
 妙に明るい千尋の声に、達哉の響きは真剣そのもの。
 そんな二人の会話を耳にして、由衣美が二、三歩、音を立てずに距離を取る。
 話は聞いて知ってはいたが、彼女にとって、どうにも加わり難い雰囲気があった。
 だからいつでもこの話になると、彼女は毎度、聞き役に徹し、決して自分からは話をしない。
 二人はそんな彼女を理解して、遠慮しないで話す分、会話を振るようなこともしなかった。
 そんな由衣美にチラッとだけ視線を送り、今度は千尋も真剣な声で達哉に告げた。
「そうね、お父さんもあの日、病院できっと、一瞬でも目を覚ましたのよね、だから、嬉しくてさ、涙を流したんだ……きっと、そうだね……」
「そうさ、だから、ぜんぜん違うんだよ」
 確かに、そう思うことで、少しだけ、救われた気がする。
 千尋も素直にそう思い、さらなる明るい声を出したのだった。
「さあて、そろそろあっちに行かないと、レストラン行きのバスに乗り遅れちゃうんじゃない?」
「あ、本当だ! 今頃きっと、お袋さんご立腹だぜ」
 そんな達哉の声を合図に、三人は慌てて墓の前から離れていった。
 そうして、彼らの姿が駐車場へと消え失せた頃、墓石の前に、小さな〝揺らぎ〟が現れるのだ。
 ポツンと浮かび上がったと思ったら、その背景を一気に歪ませ、見る見る大きくなっていく。それが色彩を持ち始め、あっという間にスーツ姿の老人となった。
 彼は一寸、辺りの様子をうかがうような素振りを見せてから、墓石に向かって挨拶でもするようにヒラヒラ手を振ったのだ。
 すると墓石と重なるように〝揺らぎ〟が現れ、さっき同様、あっという間に人の姿になっていく。すうーっと墓石から浮き出るように、いつしか老人の前にしっかり姿を見せたのだった。
 それは驚くなかれ、藤木達郎そのものであり、さっきの三人がその姿を目にすれば、腰を抜かすどころでは済まないだろう。
 彼はススっと老人の隣まで動き、無表情のまま老人の見つめる先に目を向けた。
 一方、老人の方は誰かを待っているのか、墓石のさらにずっと先を凝視したまま動かない。
 そうしてしばらく時が経ち、それでも二人は視線を動かすことなくそこにいた。
 すると二人の見つめる先に、いつしかポツンと小さな人影が現れる。
 それはどんどん近付いてきて、見ればかなりの長身なのだ。
 そんな認知とほぼ同時、達郎の顔が一気に歪んだ。
 驚いたような顔から、一気に悲しげなものとなり、そこから徐々に、泣いているような顔付きになる。
 それから何かを口にして、長身の男も同様に、声に出さずに何かを告げた。
 すると急に、二人の姿が霞んで行って、見る見る周りの景色に溶け込んでいく。
 そして十秒も経たないうちに、そこには何も無くなった。
 そんな光景を確認し、老人もフッとそこから、消え失せたのだった。
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