最終章 - 1  1980年(5)

文字数 1,389文字

 1  1980年(5)



「あの、独立というのは、どういう?」
「ああ、そうですよね、ご用命くださいなんて言っておいて、すみません。わたしのところは小さな工務店でして、設計や大工工事、施工管理などをやっております」
 工務店と返されて、やっと吉崎という名の素性が知れる。
 ――そうだ、確か、吉崎工業って会社だった。
「あの、もしかしたら、息子さんが、いらっしゃいますか?」
「あ、はい、今年の元旦にやっと生まれまして、今日は両親に来てもらって、赤ん坊の面倒を見て貰っています……」
 ――今頃なら、あいつはいくつだ?
「もしかして、息子さんの名前って、涼……ですか?」
「え!? どうして、名前をご存知なんですか?」
 達哉の言葉に、若々しい吉崎は目をまん丸にして驚いた。
 ――吉崎涼、やっぱりそうだ!
 彼のお陰で、あっちの世界で生きていけた。
 ある意味、達哉だった天野翔太にとっての大恩人だと言っていい。
 そしてそんなことは、父親である吉崎渉にも言えるのだ。
 あの頃で、確か六つか七つ年上だった。
 ――ってことは、今は三十歳手前ってところだろうか?
 そんなことを思ったところで、いきなり千尋が割り込んだ、
「すみません! この人、名前当てるの得意なんです。両親の名前から、けっこう子供の名前を当てちゃうんですよ、ねえ〜」
 そう言ってから、達哉の背中をゴツンと叩く。
「いや、でも、わたしどもの名前なんて、お伝えしてないはず……」
 そこで千尋は包みを持ち上げ、
「ううん、だってほら……」
 そう言ってから、人差し指で名刺のところを叩いて見せた。
 名刺になった名前を知って、子供の名前を予想した。そんな咄嗟の思い付きに、吉崎渉もなんとか納得したようだった。
 そうして吉崎夫婦が去った後、当然千尋は黙っていない。
「ちょっと! さっきはなにボケっとしてたのよ! 名前なんて当てちゃって、どうせあれでしょ? 未来で会ってたって言うんでしょ? もう、ちゃんと説明しなさいよね!」
 そんな彼女の言葉に、達哉は吉崎家のことをザックリとだけ話して聞かせた。
 事細かに説明したところで意味ないし、翔太が彼の会社で働くなんて未来はやって来ないに決まってる。それでも翔太の方は思うところがあるらしく、達哉が話を切ろうとする度に、さらにいろんなことを聞いてきた。
 なんだかんだと言い合っていると、まさみが玄関から顔を出し、夕食の準備ができたと言ってくる。
 そうなってやっと翔太も諦め、三人は家の中へと入っていった。
 それからまさみの手料理に舌鼓を打って、楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
 そうして夜も十時を過ぎた頃、さも残念そうに千尋が言った。
「なんだか、二人はいいなあ〜。わたしだけ帰るのって悲し過ぎじゃない? 一人のアパートに帰りたくないなあ〜」
「うん、そうしなよ。なんだったら、翔太お兄様の部屋に、布団敷こうか?」
「え? いいの? うん、泊まりたい!」
 そんな千尋に、翔太が慌てて言ってくるのだ。
「それじゃあ、俺はリビングで寝るから、千尋ちゃんはベッドで寝たらいいよ」
「え〜 それじゃあ悪いもん、引越し初日なんだし、だったらわたしがここで寝る」
 その時ちょうど、まさみが洗いものを終えて顔を出し、明るい声で告げたのだった。
「なんだったら千尋ちゃん、今日からウチの子になっちゃったらどう? おばさんの方は大歓迎よ!」
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