第1章 1藤木達哉
文字数 2,068文字
1 藤木達哉
「ごめん、俺やっぱ、今日は帰るわ」
「え〜なんでだよ! まだ八時だぜ? いいとこじゃんか!」
「ごめん、ごめん、また明日な……」
「おお〜おお〜さすが、いいとこのお坊ちゃんはやっぱり違うね〜」
そんな声に、「うるせい!」なんて言葉が浮かんだが、彼は何も言わずにそのアパートを後にする。
所詮、何を言い返したって無駄だってことだ。これまでずっとそうだったし、いつまでこんな関係が続くのかは別として、きっとこれからだって変わらない。
実際、残った二人より、段違いに恵まれている。そういう意味では、二人が彼を、本当の仲間だと思っているかどうかだって怪しいものだ。
ただ今は、今のところは、彼らといる時間が一番楽しいんだから仕方がない。
そこは高校の同級生のアパートで、そいつのオヤジが深夜トラックの運ちゃんだから、夜はだいたいみんなでそこに集まった。
何をするってわけじゃないのだ。いつもはだいたいコンビニ弁当を平げて、それから漫画を読んだりテレビを見たりだ。そんな時間がなんとも居心地が良く、家に帰ろうって気にはなかなかなれない。
そしてここ数日は、任天堂から発売されたばかりのカラーテレビゲームに夢中で、彼は昨日も明け方近くまでここにいた。
それでもやっぱり、二日連続で朝帰りってのはマズイだろう……なんて考える自体が〝お坊ちゃん〟なんだろうと、彼も心の内ではわかってはいるのだ。
藤木達哉。高校の二年になったばかり。と言っても落第スレスレで、このままだと三年生を迎える前に退学なんてことだってあるかもしれない。
――退学になったら、あいつら、どんな顔するだろう……?
そんなことを考える度に、彼は両親の驚く顔を想像し、ちょっと楽しい気分になる。
いつの頃からか、達哉は二人のことが大嫌いになった。
父親は町医者で、毎日毎日仕事ばかりやっている。週に一度ある休日も、どこかの島へ診療しに行くくらいだから、よほど医者って職業が好きなんだろう。
そんな父親に一切不満を漏らさず、息子のために、食いもしない手料理を作ってくれる母親が、やっぱり玄関に立っていた。
「おかえりなさい……昨日は、どこに泊まったの?」
きっと門を開ける音で気付くのだ。そうして玄関までやってきて、毎度似たような言葉を投げかけてくる。
そんなのにも彼はやっぱり返事をせずに、
「ねえ、ご飯あるから……」
少しでも食べない?――なんて言葉が聞こえる前に、「いらねえよ」と小さく言って、さっさと二階へ駆け上がる。そうして大音響でレコードを掛けて、途中コンビニで買った菓子類をコーラと一緒に流し込むのだ。
それからテレビを見たりゲームをしたり、もちろん勉強なんて一切しない。
遅寝で遅起き。成績は最低。運動もせずにぶらぶら過ごす毎日だから、中学に入った頃から体重増加が止まらない。
小学校の頃はそれでも、女の子からラブレターをもらったことだってあった。
しかし今は、一メートル七十三センチで八十三キロだ。顔は丸々膨れ上がって、身体に至っては三倍くらい大きくなった。一日中、寝る寸前まで食べてばかりなんだから、太って当然、まさに自業自得ってところだろう。
ただ一方、いいことだって少しはあった。
元々スポーツには縁がなく、本当の殴り合いなんてしてことがない。
それでもこんな体躯のおかげで、そこそこ喧嘩が強そうには見えるらしい。あの二人と仲良くなったのも、こんな体躯があったからだと達哉は信じて疑わなかった。
そしてこんな彼でも、父親の後を継いで医者になる――なんてことを思っていた時代があった。それがある頃から、両親の態度に不信感を募らせ、そんなことを思っていたこと自体を忘れ去る。
どうにも、友人たちが話す親とはかなり印象が違うのだ。愛情がないとまでは言わないが、あえて例えるなら「他人行儀」というところだろう。
怒られた覚えだって数えるほどだ。それも口調は穏やかで、叱っているというより「注意」しているという印象が強い。
さらに言えば、達哉は褒められたって覚えもほとんどなかった。
もちろんそれは、褒められることをしていない、ということなのかもしれないが……。
ただとにかく、そんなだからきっと両親の仲だって良く筈だ。笑顔で話している二人を見たことないし、金は腐るほどあるだろうに、家族旅行なんて一度だって行ってない。
そんな両親への不信が決定的になったのが、彼が高校に入ったばかりの頃だった。
中学時代も勉強とは無縁で、だから入学できた高校だってそれなりだ。
そんな高校の入学式の日に、彼は教室でいきなり声を掛けられる。
「お前さ、藤木だろ? お前、医者の息子のくせに、こんなバカ学校にいちゃっていいのかよ? それにさ、ずいぶんとまあ、丸くなっちゃって!」
見れば小学校時代の同級生で、記憶にあるまま意地悪そうな顔で達哉のことを見つめているのだ。そしてこの辺までは、達哉も笑顔で返事をしていた。
ところが次のひと言、ふた言で、不思議なくらい一気に冷静さが吹き飛んでしまう。
「ごめん、俺やっぱ、今日は帰るわ」
「え〜なんでだよ! まだ八時だぜ? いいとこじゃんか!」
「ごめん、ごめん、また明日な……」
「おお〜おお〜さすが、いいとこのお坊ちゃんはやっぱり違うね〜」
そんな声に、「うるせい!」なんて言葉が浮かんだが、彼は何も言わずにそのアパートを後にする。
所詮、何を言い返したって無駄だってことだ。これまでずっとそうだったし、いつまでこんな関係が続くのかは別として、きっとこれからだって変わらない。
実際、残った二人より、段違いに恵まれている。そういう意味では、二人が彼を、本当の仲間だと思っているかどうかだって怪しいものだ。
ただ今は、今のところは、彼らといる時間が一番楽しいんだから仕方がない。
そこは高校の同級生のアパートで、そいつのオヤジが深夜トラックの運ちゃんだから、夜はだいたいみんなでそこに集まった。
何をするってわけじゃないのだ。いつもはだいたいコンビニ弁当を平げて、それから漫画を読んだりテレビを見たりだ。そんな時間がなんとも居心地が良く、家に帰ろうって気にはなかなかなれない。
そしてここ数日は、任天堂から発売されたばかりのカラーテレビゲームに夢中で、彼は昨日も明け方近くまでここにいた。
それでもやっぱり、二日連続で朝帰りってのはマズイだろう……なんて考える自体が〝お坊ちゃん〟なんだろうと、彼も心の内ではわかってはいるのだ。
藤木達哉。高校の二年になったばかり。と言っても落第スレスレで、このままだと三年生を迎える前に退学なんてことだってあるかもしれない。
――退学になったら、あいつら、どんな顔するだろう……?
そんなことを考える度に、彼は両親の驚く顔を想像し、ちょっと楽しい気分になる。
いつの頃からか、達哉は二人のことが大嫌いになった。
父親は町医者で、毎日毎日仕事ばかりやっている。週に一度ある休日も、どこかの島へ診療しに行くくらいだから、よほど医者って職業が好きなんだろう。
そんな父親に一切不満を漏らさず、息子のために、食いもしない手料理を作ってくれる母親が、やっぱり玄関に立っていた。
「おかえりなさい……昨日は、どこに泊まったの?」
きっと門を開ける音で気付くのだ。そうして玄関までやってきて、毎度似たような言葉を投げかけてくる。
そんなのにも彼はやっぱり返事をせずに、
「ねえ、ご飯あるから……」
少しでも食べない?――なんて言葉が聞こえる前に、「いらねえよ」と小さく言って、さっさと二階へ駆け上がる。そうして大音響でレコードを掛けて、途中コンビニで買った菓子類をコーラと一緒に流し込むのだ。
それからテレビを見たりゲームをしたり、もちろん勉強なんて一切しない。
遅寝で遅起き。成績は最低。運動もせずにぶらぶら過ごす毎日だから、中学に入った頃から体重増加が止まらない。
小学校の頃はそれでも、女の子からラブレターをもらったことだってあった。
しかし今は、一メートル七十三センチで八十三キロだ。顔は丸々膨れ上がって、身体に至っては三倍くらい大きくなった。一日中、寝る寸前まで食べてばかりなんだから、太って当然、まさに自業自得ってところだろう。
ただ一方、いいことだって少しはあった。
元々スポーツには縁がなく、本当の殴り合いなんてしてことがない。
それでもこんな体躯のおかげで、そこそこ喧嘩が強そうには見えるらしい。あの二人と仲良くなったのも、こんな体躯があったからだと達哉は信じて疑わなかった。
そしてこんな彼でも、父親の後を継いで医者になる――なんてことを思っていた時代があった。それがある頃から、両親の態度に不信感を募らせ、そんなことを思っていたこと自体を忘れ去る。
どうにも、友人たちが話す親とはかなり印象が違うのだ。愛情がないとまでは言わないが、あえて例えるなら「他人行儀」というところだろう。
怒られた覚えだって数えるほどだ。それも口調は穏やかで、叱っているというより「注意」しているという印象が強い。
さらに言えば、達哉は褒められたって覚えもほとんどなかった。
もちろんそれは、褒められることをしていない、ということなのかもしれないが……。
ただとにかく、そんなだからきっと両親の仲だって良く筈だ。笑顔で話している二人を見たことないし、金は腐るほどあるだろうに、家族旅行なんて一度だって行ってない。
そんな両親への不信が決定的になったのが、彼が高校に入ったばかりの頃だった。
中学時代も勉強とは無縁で、だから入学できた高校だってそれなりだ。
そんな高校の入学式の日に、彼は教室でいきなり声を掛けられる。
「お前さ、藤木だろ? お前、医者の息子のくせに、こんなバカ学校にいちゃっていいのかよ? それにさ、ずいぶんとまあ、丸くなっちゃって!」
見れば小学校時代の同級生で、記憶にあるまま意地悪そうな顔で達哉のことを見つめているのだ。そしてこの辺までは、達哉も笑顔で返事をしていた。
ところが次のひと言、ふた言で、不思議なくらい一気に冷静さが吹き飛んでしまう。