第7章 - 3 新たな疑念
文字数 2,139文字
3 新たな疑念
世田谷区にある丘本総合病院で二人は出会い、結婚と同時に、看護婦だったまさみは病院を退職。それから一年ほどして妊娠と、二人はまさに幸せの絶頂という時にいた。
ところがそこから一気に、地獄の底へと突き落とされる。
看護婦が離れたほんの短い時間に、赤ん坊は新生児室から忽然と消え去った。
時代が時代だ。防犯カメラなんて設置されておらず、外部からの侵入だってどんなにか容易いことだろう。
それでもいずれ誘拐犯から連絡があって、身代金の要求がある筈だ。
その時こそが赤ん坊を助ける絶好のチャンス。だから警察がなんと言おうと、要求通りの金を用意しようと考えたのだ。
ところが〝待てど暮せど〟連絡がない。
半年が過ぎ、一年経っても、なんの進展も見られないままだった。
「で、結局、藤木くんのお兄さんは、今もどこにいるのか分からない……のか……」
「お袋もさ、言ってたんだけど、本当に神隠しに遭ったような感じだったらしい。赤ん坊が消えちゃったって判明した時、病院からいなくなった人はいなかったし、外部から誰かが侵入した形跡もない。でもまあ、実際に消えちゃったわけないんだから、絶対、誰かが連れ去ったんだろうけどね……」
「だからか……それで、その産婦人科に行ってみたいってことなのね……でもさ、そこって、今もまだあるの? それに、どうしてわたしが一緒に、なの?」
「今でも毎年、その病院から年賀状とか暑中見舞いやらが届くらしいんだ。だから、まだやってると思うよ。それにさ、なんたって産婦人科だし……周りをウロつくにしたって、男一人じゃなんか、とっても怪しいって感じじゃん?」
「まあ、そう言われれば、そうよね。でもさ、よくもまあ、こんな辛い話、お母さんに直接聞けたわね。いい度胸って言うか、無神経って言うかさ……」
「ほら、この前、天野さんと一緒だった時にさ、俺、けっこう酔っ払っちゃっただろ? その勢いでね、それにまだ……聞きたいこともあったから……」
知ってしまった以上、自分の手でも確認したい。
だから先ず、事件の起きた産婦人科に行ってみたいと達哉は言った。
「で、いつ行くの? 今日はわたし、これから授業があるけど、明日なら午前中からバイトの時間まで付き合えるよ」
いきなり訪ねてきた達哉に向けて、千尋はとうとう笑顔でそう言ってくれる。
警察が何年かけても解決できなかったんだから、達哉がちょこっと調べたからってどうにかなるなんてはずがない。そんなことは分かっていたが、達哉にとってこのまま何もしないっていうのは、どうにも我慢ならないことだった。
そうしてその翌日に、二人は浩一――という名の、会ったこともない兄――が生まれた病院へと向かう。
――おかもと産婦人科。
その住所が丘本一丁目。だから〝おかもと〟だろうと思っていたら、院長の苗字が〝岡本〟だってのが本当らしい。
小さな診療所の隣に建てられた住まいには、そんな表札が掲げられ、達哉は石造りのそれを見つめて途方に暮れた。
なんとその日は産婦人科の休診日。
いよいよ覚悟を決めて、表札のすぐ下に設置されたインターフォンを押してみる。しかしいくら待っても〝うんともすんとも〟言わないし、
――どうしよう……?
そう思っていた時、達哉の視線に飛び込んだのだ。
――丘本総合病院。
番地二つくらい離れたところに大きな建物がそびえ立ち、五階建ての天辺あたりにそんな文字がはっきり見える。
そんなのを目にして、達哉は即行思うのだった。
――あれが昔、親父とお袋が勤めてたっていう病院か……?
そしてそんな気付きとほぼ同時、
――あれ? あの丘本って文字、どこか他でも、見たって気がする。
そう感じたままを、達哉はすぐに千尋に向けて声にした。
「丘本ってさ、なんか他にもあったよね? 確かその時……本間さんも一緒にいなかったっけ……?」
「うん、一緒だったよ。ほら、あれよ、翔太さんの写真、確か……丘本公園っていうさ、石造りの看板みたいのがあったじゃない、それのことでしょ?」
達哉の見つめる方に視線を向けて、千尋がそんな返事をして返す。
丘本公園。そこに写っていたのは天野翔太とその母親だ。
そんな姿がパパッと浮かんで、
――そうだ! 丘本! 丘本荘じゃないか!
天野翔太が連れ去られ、達哉がまさかと思って訪ねた場所だ。
憎っくき山代の住んでいたアパートが、まさにここから〝目と鼻の先〟ってところにあった。
結果、達哉は気を失って、気付いた時にはまんまとあいつは消え失せている。
――でも、あいつは結局、借金取りに捕まって……?
今頃は殺されてしまったか、少なくとも借金返済に苦しんでいる筈だろう。
そしてそのアパートの住所は丘本じゃなく、住宅のある丘からかなり下ったところにあったのだ。
――くそっ! まさかまた、あいつが関係してるなんてことが!?
万に一つもあり得ない!
そう思いながらも達哉は既に決めていた。
「もう一箇所、行ってみたいところを思い出したんだ。ここから歩いたら、三十分くらいだと思うんだけど……」
そんな言葉に、千尋ももちろん「ノー」とは言わない。
そうして丘本荘の説明をしながら、達哉は千尋と一緒にアパートに向かった。
世田谷区にある丘本総合病院で二人は出会い、結婚と同時に、看護婦だったまさみは病院を退職。それから一年ほどして妊娠と、二人はまさに幸せの絶頂という時にいた。
ところがそこから一気に、地獄の底へと突き落とされる。
看護婦が離れたほんの短い時間に、赤ん坊は新生児室から忽然と消え去った。
時代が時代だ。防犯カメラなんて設置されておらず、外部からの侵入だってどんなにか容易いことだろう。
それでもいずれ誘拐犯から連絡があって、身代金の要求がある筈だ。
その時こそが赤ん坊を助ける絶好のチャンス。だから警察がなんと言おうと、要求通りの金を用意しようと考えたのだ。
ところが〝待てど暮せど〟連絡がない。
半年が過ぎ、一年経っても、なんの進展も見られないままだった。
「で、結局、藤木くんのお兄さんは、今もどこにいるのか分からない……のか……」
「お袋もさ、言ってたんだけど、本当に神隠しに遭ったような感じだったらしい。赤ん坊が消えちゃったって判明した時、病院からいなくなった人はいなかったし、外部から誰かが侵入した形跡もない。でもまあ、実際に消えちゃったわけないんだから、絶対、誰かが連れ去ったんだろうけどね……」
「だからか……それで、その産婦人科に行ってみたいってことなのね……でもさ、そこって、今もまだあるの? それに、どうしてわたしが一緒に、なの?」
「今でも毎年、その病院から年賀状とか暑中見舞いやらが届くらしいんだ。だから、まだやってると思うよ。それにさ、なんたって産婦人科だし……周りをウロつくにしたって、男一人じゃなんか、とっても怪しいって感じじゃん?」
「まあ、そう言われれば、そうよね。でもさ、よくもまあ、こんな辛い話、お母さんに直接聞けたわね。いい度胸って言うか、無神経って言うかさ……」
「ほら、この前、天野さんと一緒だった時にさ、俺、けっこう酔っ払っちゃっただろ? その勢いでね、それにまだ……聞きたいこともあったから……」
知ってしまった以上、自分の手でも確認したい。
だから先ず、事件の起きた産婦人科に行ってみたいと達哉は言った。
「で、いつ行くの? 今日はわたし、これから授業があるけど、明日なら午前中からバイトの時間まで付き合えるよ」
いきなり訪ねてきた達哉に向けて、千尋はとうとう笑顔でそう言ってくれる。
警察が何年かけても解決できなかったんだから、達哉がちょこっと調べたからってどうにかなるなんてはずがない。そんなことは分かっていたが、達哉にとってこのまま何もしないっていうのは、どうにも我慢ならないことだった。
そうしてその翌日に、二人は浩一――という名の、会ったこともない兄――が生まれた病院へと向かう。
――おかもと産婦人科。
その住所が丘本一丁目。だから〝おかもと〟だろうと思っていたら、院長の苗字が〝岡本〟だってのが本当らしい。
小さな診療所の隣に建てられた住まいには、そんな表札が掲げられ、達哉は石造りのそれを見つめて途方に暮れた。
なんとその日は産婦人科の休診日。
いよいよ覚悟を決めて、表札のすぐ下に設置されたインターフォンを押してみる。しかしいくら待っても〝うんともすんとも〟言わないし、
――どうしよう……?
そう思っていた時、達哉の視線に飛び込んだのだ。
――丘本総合病院。
番地二つくらい離れたところに大きな建物がそびえ立ち、五階建ての天辺あたりにそんな文字がはっきり見える。
そんなのを目にして、達哉は即行思うのだった。
――あれが昔、親父とお袋が勤めてたっていう病院か……?
そしてそんな気付きとほぼ同時、
――あれ? あの丘本って文字、どこか他でも、見たって気がする。
そう感じたままを、達哉はすぐに千尋に向けて声にした。
「丘本ってさ、なんか他にもあったよね? 確かその時……本間さんも一緒にいなかったっけ……?」
「うん、一緒だったよ。ほら、あれよ、翔太さんの写真、確か……丘本公園っていうさ、石造りの看板みたいのがあったじゃない、それのことでしょ?」
達哉の見つめる方に視線を向けて、千尋がそんな返事をして返す。
丘本公園。そこに写っていたのは天野翔太とその母親だ。
そんな姿がパパッと浮かんで、
――そうだ! 丘本! 丘本荘じゃないか!
天野翔太が連れ去られ、達哉がまさかと思って訪ねた場所だ。
憎っくき山代の住んでいたアパートが、まさにここから〝目と鼻の先〟ってところにあった。
結果、達哉は気を失って、気付いた時にはまんまとあいつは消え失せている。
――でも、あいつは結局、借金取りに捕まって……?
今頃は殺されてしまったか、少なくとも借金返済に苦しんでいる筈だろう。
そしてそのアパートの住所は丘本じゃなく、住宅のある丘からかなり下ったところにあったのだ。
――くそっ! まさかまた、あいつが関係してるなんてことが!?
万に一つもあり得ない!
そう思いながらも達哉は既に決めていた。
「もう一箇所、行ってみたいところを思い出したんだ。ここから歩いたら、三十分くらいだと思うんだけど……」
そんな言葉に、千尋ももちろん「ノー」とは言わない。
そうして丘本荘の説明をしながら、達哉は千尋と一緒にアパートに向かった。