第1章 - 5 天野翔太(藤木達哉)(7)
文字数 1,405文字
5 天野翔太(藤木達哉)(7)
じゃあ、明日、またここに寄ってください。この間のお返しに、夕食を作って待ってますから……」
「天野さん、無理してません?」
「無理なんか、全然してませんよ……大丈夫です」
それから世間話を少しだけして、彼女は笑顔になって帰っていった。
どうせこんなことは続かないのだ。
いずれ天野翔太にも飽きてしまうか、どこか気に入らないところが見つかって、彼女の方からさっさと離れていくだろう。
彼女の年齢は知らないが、きっとそんなに違わない。還暦ってことはないとしても、四十代ってことはないと思う。そんな年齢の彼女であれば、これ迄の人生すべてを話し聞かせるだけで引いてしまうだろうし、
――なんなら、病気のことを、打ち明けてしまえば……。
それで、何もかもがなかったことになる筈だ。
人生の終盤に差し掛かって、こんな面倒な男と関わるなんてかわいそうだし、彼女ほどの美人なら、もっといい男がいくらだっているだろう。
そう思っていたのだが、人生ってのは、トコトン思うようにはいかないらしい。
「天野さん! 天野さん! どうしたんですか? 天野さん! 返事をしてください!」
そんな声が聞こえても、どうにも唸ることしかできなかった。
精一杯のカレー料理を作り終え、そろそろかな?……などと思いながら、台所からいろいろ運ぼうとした時だった。
「ガツン!」と、後頭部を叩かれたような痛みが走った。
え? と思った時には目の前が畳で、それで自分が倒れたんだと理解する。
そしてちょうど同じ頃、彼女は天野翔太のアパートに到着し、とにかく何かしら物音を聞いたのだ。それで彼の異常を察知して、いきなり大声を出したのだった。
後から聞いた話では、部屋中にカレーのルーが散乱し、二、三日は香ばしい匂いが取れなかったらしい。
彼女はすぐに扉を開けるのを諦めて、アパートの反対側に回り込んだ。それから鍵のかかっていた窓ガラスを石か何かで叩き割る。
もしも住んでいたアパートが今時のものだったなら、窓は絶対サッシだろうし、小石くらいじゃ叩き割れない。
ところがこのオンボロアパートは、雨戸を開ければいまだに全室、滅多に見られなくなった昔ながらのすりガラスだった。
お陰で女性の力でも簡単に割れて、彼女は倒れ込む翔太を発見できた。
さらに幸いだったのが、〝くも膜下出血〟ではなく、後頭部辺りで起きた〝脳梗塞〟だったということ。手術する必要もなくて、点滴と飲み薬だけで治療できるということだった。
そしてその入院中、綾野という女性は毎日顔を見せにくる。
早番であれば夕刻の頃、遅番であればその出勤前にちょこっと病室に姿を見せた。
休みであれば面会時刻ずっといて、彼は何度か似たような言葉を声にしたのだ。
「せっかくのお休みなんですから、こんなところにいないで、好きなことをなさってください」
「いいんです……ここにいることが、わたしのしたいことですから」
「でも、こんなジイさんと話をしていて、楽しいですか?」
「楽しいですよ。それに、天野さんがオジイさんなら、わたしもおばあさんだしね、ちょうどいいじゃないですか?」
いつもこんな感じを返されて、結局退院までの二週間、彼女は一日も欠かさず現れたのだった。
そして退院の日に、さらに驚くような展開が天野翔太を待ち受けている。
彼女が車で迎えに現れ、連れ行かれた先がアパートじゃなかった。
じゃあ、明日、またここに寄ってください。この間のお返しに、夕食を作って待ってますから……」
「天野さん、無理してません?」
「無理なんか、全然してませんよ……大丈夫です」
それから世間話を少しだけして、彼女は笑顔になって帰っていった。
どうせこんなことは続かないのだ。
いずれ天野翔太にも飽きてしまうか、どこか気に入らないところが見つかって、彼女の方からさっさと離れていくだろう。
彼女の年齢は知らないが、きっとそんなに違わない。還暦ってことはないとしても、四十代ってことはないと思う。そんな年齢の彼女であれば、これ迄の人生すべてを話し聞かせるだけで引いてしまうだろうし、
――なんなら、病気のことを、打ち明けてしまえば……。
それで、何もかもがなかったことになる筈だ。
人生の終盤に差し掛かって、こんな面倒な男と関わるなんてかわいそうだし、彼女ほどの美人なら、もっといい男がいくらだっているだろう。
そう思っていたのだが、人生ってのは、トコトン思うようにはいかないらしい。
「天野さん! 天野さん! どうしたんですか? 天野さん! 返事をしてください!」
そんな声が聞こえても、どうにも唸ることしかできなかった。
精一杯のカレー料理を作り終え、そろそろかな?……などと思いながら、台所からいろいろ運ぼうとした時だった。
「ガツン!」と、後頭部を叩かれたような痛みが走った。
え? と思った時には目の前が畳で、それで自分が倒れたんだと理解する。
そしてちょうど同じ頃、彼女は天野翔太のアパートに到着し、とにかく何かしら物音を聞いたのだ。それで彼の異常を察知して、いきなり大声を出したのだった。
後から聞いた話では、部屋中にカレーのルーが散乱し、二、三日は香ばしい匂いが取れなかったらしい。
彼女はすぐに扉を開けるのを諦めて、アパートの反対側に回り込んだ。それから鍵のかかっていた窓ガラスを石か何かで叩き割る。
もしも住んでいたアパートが今時のものだったなら、窓は絶対サッシだろうし、小石くらいじゃ叩き割れない。
ところがこのオンボロアパートは、雨戸を開ければいまだに全室、滅多に見られなくなった昔ながらのすりガラスだった。
お陰で女性の力でも簡単に割れて、彼女は倒れ込む翔太を発見できた。
さらに幸いだったのが、〝くも膜下出血〟ではなく、後頭部辺りで起きた〝脳梗塞〟だったということ。手術する必要もなくて、点滴と飲み薬だけで治療できるということだった。
そしてその入院中、綾野という女性は毎日顔を見せにくる。
早番であれば夕刻の頃、遅番であればその出勤前にちょこっと病室に姿を見せた。
休みであれば面会時刻ずっといて、彼は何度か似たような言葉を声にしたのだ。
「せっかくのお休みなんですから、こんなところにいないで、好きなことをなさってください」
「いいんです……ここにいることが、わたしのしたいことですから」
「でも、こんなジイさんと話をしていて、楽しいですか?」
「楽しいですよ。それに、天野さんがオジイさんなら、わたしもおばあさんだしね、ちょうどいいじゃないですか?」
いつもこんな感じを返されて、結局退院までの二週間、彼女は一日も欠かさず現れたのだった。
そして退院の日に、さらに驚くような展開が天野翔太を待ち受けている。
彼女が車で迎えに現れ、連れ行かれた先がアパートじゃなかった。