第1章 - 5 天野翔太(藤木達哉)(10)
文字数 1,139文字
5 天野翔太(藤木達哉)(10)
「だってあなたは、私の初恋の人、なんだから……天野さんの方は、まるで全然、一ミリだってわたしのことなんか、覚えてないんでしょうけどね……」
東京に出てきたばかりの頃、彼女は翔太に会っていた。どこでどう出会っていたかは言おうとしないが、歳を取り、河川敷で話すようになって、少なくとも彼女はあっという間に気付いたらしい。
「相変わらず、天野さんは優しくて、人を助けてばっかりで……だから今度はわたしが、あなたをちゃんと助けてあげますからね」
力強くそう言って、涙目のまま満面の笑みを翔太へ向けた。
それから二、三日して、二人は市役所に出向いて籍を入れる。家の表札も「天野」に替えて、翔太にとって初めてとなる結婚生活が始まったのだ。
しかしそんな生活も、さらに二ヶ月が経った頃から一気に様子が変わってしまう。
医者が言っていた通り、まるで鎮痛剤が効かなくなった。日に日に体力が落ち続け、食事もちゃんと食べられない。
痛みの方はモルヒネのお陰で楽にはなるが、体力の方はどうしようもなかった。
風呂に入るのもひと苦労。
一度溺れかかったことで、翔太もいよいよ入院のことを覚悟した。ところがそんなことから数日後、彼は驚くよう事実を知って、考えを一気に改めるのだ。
それは人生の大半を、根こそぎ奪い取られたような驚愕の真実。そんな馬鹿な! と、何度も何度も思ったが、
「あなた、これはね、本当のことなの……今はもう、一般の人だって知ってることよ。まあ昭和の時代に、どう思われていたかは、正直、知らないけど……」
そう言う妻の言葉はどう調べたって正しくて、つまり彼だけが、ずっと騙されていたということなのだ。
――くそっ! くそっ! くそっ!
いくら悪態をついても、何十年もの歳月だけは戻って来ない。涙がとことん溢れ出て、その怒りをぶつけようにもその相手はすでに消え去っている。
彼は次第に、このまま入院するのがどうにも我慢ならなくなった。
――最後のわがままを、許して欲しい
そう告げて、最期まで家にいたいと彼女に告げた。それから半年、何から何まで妻によって支えられ、自宅での生活を彼は続ける。
そうしていよいよ最期という時、彼のまわりにはたくさんの友人たちが集まった。
そのきっかけは吉崎涼への連絡で、
「いよいよという時が来たら、彼だけには、連絡してください」
携帯番号の書かれたメモを握りしめ、彼は必死に声にした。
そこからどういう流れで、こうなったのかはわからない。
小中学校の同級生から施設で知り合った三人組や、保護観察中に世話になった町工場の社長、そして最後の勤め先となった吉崎工業の社員たちまで、驚くくらいに大勢の人間たちが別れを惜しんで集まった。
「だってあなたは、私の初恋の人、なんだから……天野さんの方は、まるで全然、一ミリだってわたしのことなんか、覚えてないんでしょうけどね……」
東京に出てきたばかりの頃、彼女は翔太に会っていた。どこでどう出会っていたかは言おうとしないが、歳を取り、河川敷で話すようになって、少なくとも彼女はあっという間に気付いたらしい。
「相変わらず、天野さんは優しくて、人を助けてばっかりで……だから今度はわたしが、あなたをちゃんと助けてあげますからね」
力強くそう言って、涙目のまま満面の笑みを翔太へ向けた。
それから二、三日して、二人は市役所に出向いて籍を入れる。家の表札も「天野」に替えて、翔太にとって初めてとなる結婚生活が始まったのだ。
しかしそんな生活も、さらに二ヶ月が経った頃から一気に様子が変わってしまう。
医者が言っていた通り、まるで鎮痛剤が効かなくなった。日に日に体力が落ち続け、食事もちゃんと食べられない。
痛みの方はモルヒネのお陰で楽にはなるが、体力の方はどうしようもなかった。
風呂に入るのもひと苦労。
一度溺れかかったことで、翔太もいよいよ入院のことを覚悟した。ところがそんなことから数日後、彼は驚くよう事実を知って、考えを一気に改めるのだ。
それは人生の大半を、根こそぎ奪い取られたような驚愕の真実。そんな馬鹿な! と、何度も何度も思ったが、
「あなた、これはね、本当のことなの……今はもう、一般の人だって知ってることよ。まあ昭和の時代に、どう思われていたかは、正直、知らないけど……」
そう言う妻の言葉はどう調べたって正しくて、つまり彼だけが、ずっと騙されていたということなのだ。
――くそっ! くそっ! くそっ!
いくら悪態をついても、何十年もの歳月だけは戻って来ない。涙がとことん溢れ出て、その怒りをぶつけようにもその相手はすでに消え去っている。
彼は次第に、このまま入院するのがどうにも我慢ならなくなった。
――最後のわがままを、許して欲しい
そう告げて、最期まで家にいたいと彼女に告げた。それから半年、何から何まで妻によって支えられ、自宅での生活を彼は続ける。
そうしていよいよ最期という時、彼のまわりにはたくさんの友人たちが集まった。
そのきっかけは吉崎涼への連絡で、
「いよいよという時が来たら、彼だけには、連絡してください」
携帯番号の書かれたメモを握りしめ、彼は必死に声にした。
そこからどういう流れで、こうなったのかはわからない。
小中学校の同級生から施設で知り合った三人組や、保護観察中に世話になった町工場の社長、そして最後の勤め先となった吉崎工業の社員たちまで、驚くくらいに大勢の人間たちが別れを惜しんで集まった。