第1章 - 2 平成三十年(8)
文字数 1,096文字
2 平成三十年(8)
「どうか、しましたか?」
目の前にいたのは制服姿の警官だった。
「この辺りで、見慣れない方がね、ウロウロしているって通報があったんですよ」
少し離れたところにパトカーまでが停まっていて、運転席には丸々太った警察官がジッとこちらを見つめている。
「えっと、どうしようかな……あなた、身分証とか、持ってます?」
ここで一気に事態の危うさに気が付いた。
まさかクルマに突っ込むつもりだなんて言えないし、だから咄嗟に頭に浮かんだままを声にした。
「ああ、すみません。この辺で、落とし物をしたもので……」
「ほう、落とし物ですか? 何を、落とされたんです?」
「いや、大したものじゃ、ないんで……」
走って逃げるか? しかし以前の彼ならいざ知らず、どう考えたって今の身体では逃げきれない。だからある意味正直に、若い警察官に向かって告げたのだった。
「気が付いたら、ここにいたんです……実は記憶が、なくなっていて……」
「ほう、落とし物ってのは、記憶ですか? そりゃ、困りましたね〜」
まるで信じちゃいないのだろう。
妙に口角が吊り上がり、見事に人を小馬鹿にしたような顔付きだ。
確かに見た目は年寄りで、六十一年って人生を生きればそこそこ分別も付くだろう。
ところが中身はそうじゃない。何かって言えばムカついて、もっとも分別とはかけ離れている青春時代の真っ只中だ。
「なに笑ってんだよ!」
心に思った瞬間だった。
「こっちはな、マジ困ってんだよ!」
あっという間に声に出て、途端に警察官の顔が変化する。
口角が一気に下がり、目付きが突き刺すように鋭くなった。それがスッとパトカーを向いて、そんなのに合わせるように太った方が姿を見せる。
――まずい!
と思った時には動き出していた。
勢いよく立ち上がり、両手で思いっきり目の前の警官を突き飛ばす。そのままT字路に向かって走り出し、
――どこでもいい! どこかの家に入るんだ!
そうして塀の裏っ側にでも身を潜めてやり過ごそうと、達哉は心で必死に思った。
「こら! 待て!」
そんな声を聞きながら、彼は突き当たり右に曲がろうとする。
重心を右に少し傾け、そのまま一気に駆け抜けようとした時だった。
不思議なくらい唐突に、右の脚から力が抜けた。まるで「カクッ」と音がしたように、右膝が地面に向かって落ちていく。
「あっ」と思って、両手を出した筈だった。
ところが両手が着くより前に、頭が先に地面に激突。頭や顔に激痛が走って、それでも意識はまだあった。
それからバタバタという足音が聞こえ、ああ、捕まっちゃうのか――などと思ったところで、パッと痛みが消え去った。
「どうか、しましたか?」
目の前にいたのは制服姿の警官だった。
「この辺りで、見慣れない方がね、ウロウロしているって通報があったんですよ」
少し離れたところにパトカーまでが停まっていて、運転席には丸々太った警察官がジッとこちらを見つめている。
「えっと、どうしようかな……あなた、身分証とか、持ってます?」
ここで一気に事態の危うさに気が付いた。
まさかクルマに突っ込むつもりだなんて言えないし、だから咄嗟に頭に浮かんだままを声にした。
「ああ、すみません。この辺で、落とし物をしたもので……」
「ほう、落とし物ですか? 何を、落とされたんです?」
「いや、大したものじゃ、ないんで……」
走って逃げるか? しかし以前の彼ならいざ知らず、どう考えたって今の身体では逃げきれない。だからある意味正直に、若い警察官に向かって告げたのだった。
「気が付いたら、ここにいたんです……実は記憶が、なくなっていて……」
「ほう、落とし物ってのは、記憶ですか? そりゃ、困りましたね〜」
まるで信じちゃいないのだろう。
妙に口角が吊り上がり、見事に人を小馬鹿にしたような顔付きだ。
確かに見た目は年寄りで、六十一年って人生を生きればそこそこ分別も付くだろう。
ところが中身はそうじゃない。何かって言えばムカついて、もっとも分別とはかけ離れている青春時代の真っ只中だ。
「なに笑ってんだよ!」
心に思った瞬間だった。
「こっちはな、マジ困ってんだよ!」
あっという間に声に出て、途端に警察官の顔が変化する。
口角が一気に下がり、目付きが突き刺すように鋭くなった。それがスッとパトカーを向いて、そんなのに合わせるように太った方が姿を見せる。
――まずい!
と思った時には動き出していた。
勢いよく立ち上がり、両手で思いっきり目の前の警官を突き飛ばす。そのままT字路に向かって走り出し、
――どこでもいい! どこかの家に入るんだ!
そうして塀の裏っ側にでも身を潜めてやり過ごそうと、達哉は心で必死に思った。
「こら! 待て!」
そんな声を聞きながら、彼は突き当たり右に曲がろうとする。
重心を右に少し傾け、そのまま一気に駆け抜けようとした時だった。
不思議なくらい唐突に、右の脚から力が抜けた。まるで「カクッ」と音がしたように、右膝が地面に向かって落ちていく。
「あっ」と思って、両手を出した筈だった。
ところが両手が着くより前に、頭が先に地面に激突。頭や顔に激痛が走って、それでも意識はまだあった。
それからバタバタという足音が聞こえ、ああ、捕まっちゃうのか――などと思ったところで、パッと痛みが消え去った。