第1章 -  5 天野翔太(藤木達哉)(9)

文字数 1,545文字

 5 天野翔太(藤木達哉)(9)



「アパートの掃除をしていて、鎮痛剤を偶然、見つけたんです……」
 そこで小さくため息を吐いて、彼女は両手を使って涙を拭った。
「わたし一応、介護士なんてやってるから、薬のこととか結構知ってるんです。だから、まさかと思って、処方箋と一緒に入っていた病院の領収書を見て、通われている病院に行って、話を聞いてきたんです」
 こんな強い薬を処方された理由を知りたい……しかしいくらそう頼んでも、担当の医師の名前さえ教えてはもらえなかった。
 ところが運のいいことに、ちょうどナースセンター前を通りかかった医師が、彼の名前を耳にする。
「私が、大騒ぎしたんです。天野翔太って患者を診察したのは誰だって、誰か教えてくれって、大きな声で、騒いだものだから……」
 不意に、そんなシーンが思い浮かんで、翔太の心がほんの少しだけザワめいた。
 と、同時に、
 ――どうして?
 という想いが口を突いて出そうになるが、それより彼女の声が先だった。
「そのお医者さん、聞いてきたのよ……お知り合いですかって……だから言ったの、これから一緒に、あなたと暮らすつもりだからってね……」
 なのに、彼が病気のことを教えてくれない。
 だから仕方なく、彼のためにやってきたんだと力強く声にして、現れた医師を彼女は睨みつけたのだ。
 すると医師が困ったように、
 ――本当は、こう言うことはダメなんですけど……。
 そう告げてから、彼女を誰もいない診察室へと誘ったのだ。
「そこで、天野さんが治療すべてを断ったことや、どうしてそうしたいと考えたのかを、そのお医者さんにお聞きました。でも、実際は、そんな簡単なことじゃないんだって、今だって天野さん、かなり痛みはひどい筈だし、いずれ近いうちに、鎮痛剤じゃ抑えられなるからと、そう仰って……」
 ――それに、まだ可能性もゼロじゃないんだ。
 ――だからあなたから、治療を受けるよう説得して欲しい。
 若い医者はそう続け、彼女に頭を下げたのだった。 
「でも、わたし分かります。施設から入院して、治療にトコトン苦しんで、結局そのまま亡くなっちゃう方を、これまでたくさん見てきましたし……だから、いいじゃないですか……やれるところまで自由に生きて、どうしようもなくなったところで入院する。わたしも、天野さんの決断、いいと思います。それにね、そんなのって、一人っきりより、ふたりで居た方が、断然いいに、決まってるんだから……」
 彼女はそこまで一気に話し、再び廊下の先へと歩き出した。
 一方翔太の方は呆気に取られ、なす術もなく立ち尽くすのだ。
 そして、どのくらいの時間が経ったのか……?
 きっと、一分とか二分くらいの経過だろうが、翔太にとっては、一時間くらいにも感じられる。
 ――どうする? 
 ――どうしたらいい?
 次の行動を考えあぐねて、彼女から声が掛かるまでただただその場に立っていた。
 そうして結果、翔太は彼女の申し出を受けるのだ。
 さらにそれから数ヶ月して、少しずつ体重が落ちていったが、それほど症状自体は悪くなっていなかった頃、再び彼女は驚くようなことを翔太へ告げる。
結婚して欲しい……。いきなりそんなことを言い出して、大真面目な顔して翔太へ理由を告げるのだった。
「この家、元々別れた夫の持ちもんだったんです。でもまあ、色々あって離婚したんですけど、子供もまだまだ、小さかったしね、苗字、そのままにしたんですよ。でも、その子もすでに結婚しちゃって、孫なんて小学生が二人。だからね、替えたいんです。綾野って苗字。わたし最近、そう呼ばれる度に、嫌で嫌で仕方なくって……」
 そうして翔太の顔をじっと見つめて、
「もちろん、それだけじゃないですよ……」
 そう声にして、悪戯っぽい笑顔を見せた。
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