第1章  1藤木達哉(2)

文字数 1,969文字

1 藤木達哉(2)


「てこたあよ、お前のお袋さんがさ、よっぽど頭が悪いんだろう?」
 この辺で、顔から微笑みが消え失せたと思う。
「あ、違う違う! もしかしたら、親父さんが医者になったのも、裏口入学とかでよ、結局、馬鹿だったりして〜」
 そう言って、同級生は人差し指を達哉に向けて、「ははは」と大きな声で笑ってみせた。
 そうして気が付けば、達哉は肩からそいつにぶち当たり、馬乗りになってボコボコにしていた。そんなところに何やら怒号が響き渡って、それからあっという間に同級生から引き離される。
「えっ」と思って気が付けば、後ろから誰かに押さえ付けられ、あっという間に床に身体を押し付けられた。
 結局、それが担任の先生で、達哉はそのまま家に帰され、一週間の停学処分となってしまった。
 そんな事件がきっかけとなり、彼は良くも悪くも学校中で注目される。それからすぐに例の二人とも知り合って、ますます優等生から遠のいた。
 そうしてさらに、事件は起きる。
 停学騒ぎからひと月とちょっと、それは五月の二十日、真夏とも思えるような暑い日のことだった。
 例によって友人のアパートからの帰り道、達哉は自宅を見通せる一本道に入ったところで、いつもと違う光景に気が付いた。
 夜中の二時だ。まさに丑三つ時って時刻だから、普段なら家中が真っ暗になっている。
 なのに、明かりが点いていた。
 門灯どころか、一階すべての窓からしっかり照明が漏れている。
 ――消し忘れ? あのお袋が?
 それとも起きているのか? などと思ったところで、
 ――どっちにしたって、俺には関係ねえさ……。
 そこから両手をポケットに突っ込んで、達哉はまっすぐ家に向かって歩き続けた。
 暴力事件を起こして停学になっても、声を荒げなかった両親だ。特に父、達郎に至っては、ひと言だって声さえ掛けてこなかった。
 一方母、まさみは学校に呼び出され、それなりに〝オロオロ〟していたが、だからと言って「どうしてくれ」とは言ってはこない。
 ――結局あれだ……俺なんて、どうでもいいって、ことなんだよな……。
 なんて感情が、達哉の気持ちをさらに両親から遠ざけていた。
 だから照明が点いていようと、そのまま誰が寝ていようが関係ない。絶対の自信を持ってそう思っていたところが、すぐに大間違いだったと気付かされた。
 ――なんだよ! これってどうなってる!?
 達哉はその光景に立ち止まり、心の叫びが思わず声になりそうになる。
テレビでも見ようとリビングに入って、ソファーに座る二つの影が目に入った。
 それが両親の姿だとすぐに知れ、驚きの声をあげそうになった次の瞬間、視線の先に、絶対あってはならないものが置かれているのに気が付いた。
 どうして?――と思って数秒……あっという間に事の顛末が想像できた。
ソファーの前にあるテーブルに、見覚えのある紙巻き煙草とウイスキーのボトルが置かれている。煙草の方は貰い物だが、ウイスキーについてはちゃんと自分で買ったものだ。
 それがリビングにあるってことは、誰かが勝手に達哉の部屋から持ち出したってことになる。なんでだよ!――と、一瞬頭に血が昇ったが、
 ――どっちにしたって、関係ねえさ……。
 すぐにどうでもいいと思い直して、彼はそのままテーブル目指して歩いていった。
 それからさっさと煙草とウイスキーを手に取って、両親に背を向け、さっさと二階へ向かおうとした時だった。
「ちょっと待て……」
 久しぶりに聞く父親の声に、自分でも驚くくらいにドキッとしていた。
「黙ってないで、何か言ったらどうなんだ?」
 次の声でなんとか平静を取り戻し、背を向けたまま彼はやっぱり思うのだ。
 ――お前には、関係ねえだろうよ!
 その次の瞬間、背中にガツンと衝撃があった。
 思わず彼はよろめいて、壁に右手をついてなんとか体勢を整える。と同時に、左っ側で抱えていたウイスキーのボトルが滑り落ち、床に激突してドシンと大きな音を立てた。
「何すんだよ!」
「何すんだじゃないだろう! そう言いたいのはこっちの方だぞ!」
 達郎がすぐ後ろに立っていて、振り向いた達哉の目の前にその顔がある。
「だからなんだって言ってんだよ! 痛えなあ! 背中叩いてんじゃねえよ!」
「おまえは……ホント、どうしちまったんだ……」
「どうもこうもねえだろう? 俺が何を吸おうが、何を飲もうが、お宅らには関係ねえだろうよ! くそっ! バットがくしゃくしゃになっちまったじゃねえか!」
「高校生のくせして煙草なんか吸って! 関係ないわけないだろうが! 馬鹿なことを言うな! 」
「ああそうだよ! 俺は馬鹿だよ、そんなことも知らねえのか!? なんだったら、こんな馬鹿野郎な息子はよ、とっとと死んで、いなくなってやろうかあ!?」
 そう言い終わった時突然、達郎の表情が大きく揺れた。


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