第7章 - 3 新たな疑念(2)
文字数 1,671文字
3 新たな疑念(2)
もう住んでないだろう……そう思っていたのに、やつはやっぱりそこにいた。
相変わらずのボロ――と言っても、千尋の住まいとそう変わらない――アパートは思った通りに見つかって、達哉はドキドキしながら山代の部屋だった扉の前に立ったのだ。
すると扉の隣にある窓ガラスが少しだけ開いていて、顔を近付ければ中の様子が見えそうだった。だから恐る恐る顔を寄せ、部屋の中を覗き込もうとした。
その途端、すえたような臭いが鼻を突き、それでも彼は息を止め、必死に中の様子を窺った。
――誰かが……寝ている。
部屋が異様に薄暗く、そんなことくらいしか分からない。
それでもきっと、普通の状態じゃないのだろう。
異様な臭気と湿気っぽさが、住人の置かれている状況を視覚以上に感じさせた。
そしてもちろん、赤の他人っていう可能性の方が大だから、これでノックをするのは気が引けるのだ。
ところがいきなり、部屋の中から声が響いた。
え!? と思う間もなく辛そうに咳き込んで、それから「ゼエゼエ」という息遣いだけが聞こえてくるのだ。
それがまさしく〝断末魔〟のように響き、
――助けなきゃ!
達哉はただただ素直にそう思ってしまう。
そこから慌てて取っ手を掴み、そのまま力一杯引っ張った。するとなんの抵抗もなく扉は開いて、靴を脱ぐのも忘れて部屋の中へと飛び込んだのだ。
部屋の中は乱れに乱れ、至るところに汚れた衣服や下着、食い散らかしたコンビニ弁当なんかが散乱している。
そんなゴミだらけっていう部屋の真ん中に、薄汚れたせんべい布団が敷かれており、そこに寝ている人物に目をやって、達哉は思わず息をするのも忘れてしまった。
横になっていた人物こそが、あまりに変わり果ててしまった山代だった。
彼は身体をくの字に曲げて、息も絶え絶え、ただただ苦悶の表情を見せている。
そうして達哉が現れたことにも気付かない。
そこで彼は後ろを向いて、千尋の姿に視線を送った。
――やっぱり山代だった!
そんな事実を伝えようとするが、千尋は開け放たれた扉の外で「無理!」といった顔して手を振っている。
達哉は再び視線を戻し、寝ている山代のそばに近付いた。そうしてそのまま咳き込む彼を見下ろして、達哉に気付くのを待ったのだ。
ところが一向に気付かない。
それどころか咳がどんどんひどくなり、達哉は見かねて台所――というより単なる洗面台――へ行き、薄汚れたコップに水を注いだ。
「ほら、水だ……」
そうツッケンドンに言いながら、山代の眼前にコップを出し出す。
すると固く閉じられていた瞼がパッと開いて、差し出されたコップを右手で掴む。それから必死に顔だけを上に向け、右手のコップを口へと運んだ。
ところが顔がしっかり傾いているせいで、口に入るはずの半分以上が溢れてしまう。それでも少しは楽になったか、山代はそこで初めて言葉を発した。
「ありがとう……ございます……」
まるで視線をこちらに向けず、言葉がなんともぎこちない。
――いったい、何があったんだよ!?
そんな疑問を感じつつ、達哉は語気を強めて声にした。
「俺は藤木だ! 俺のこと、覚えてるよな?」
そう告げて、そのままストンとしゃがみ込んだ。
すると山代の顔がちょうど達哉の胸辺り。
そこでやっと彼の視線も達哉を捉える。
――来るなら来い!
翔太から聞いた話だと、山代はボクシングの経験者らしいのだ。
だから前回まったく歯が立たなかったが、今の状態なら絶対勝てる! などと思って、山代の顔をギッと睨んだ。
ところがだ。
山代の顔がグニャッと歪んで、啜り泣くような吐息が漏れる。そうしてそんな吐息が少しずつ、達哉へ向けての懇願へと変わった。
「ああ、すいまへん、すいまへん……ゆるひてください、お願ひ、お願ひ……」
そんな意味不明の声に、達哉は思わず立ち上がってしまう。
すると何を勘違いしたのか、山代は恐怖に怯えた顔付きになり、
「ひえ! ぶらないで! お願ひですから! ぶらないで〜」
右手を掲げて、細かく左右に振ったのだった。
もう住んでないだろう……そう思っていたのに、やつはやっぱりそこにいた。
相変わらずのボロ――と言っても、千尋の住まいとそう変わらない――アパートは思った通りに見つかって、達哉はドキドキしながら山代の部屋だった扉の前に立ったのだ。
すると扉の隣にある窓ガラスが少しだけ開いていて、顔を近付ければ中の様子が見えそうだった。だから恐る恐る顔を寄せ、部屋の中を覗き込もうとした。
その途端、すえたような臭いが鼻を突き、それでも彼は息を止め、必死に中の様子を窺った。
――誰かが……寝ている。
部屋が異様に薄暗く、そんなことくらいしか分からない。
それでもきっと、普通の状態じゃないのだろう。
異様な臭気と湿気っぽさが、住人の置かれている状況を視覚以上に感じさせた。
そしてもちろん、赤の他人っていう可能性の方が大だから、これでノックをするのは気が引けるのだ。
ところがいきなり、部屋の中から声が響いた。
え!? と思う間もなく辛そうに咳き込んで、それから「ゼエゼエ」という息遣いだけが聞こえてくるのだ。
それがまさしく〝断末魔〟のように響き、
――助けなきゃ!
達哉はただただ素直にそう思ってしまう。
そこから慌てて取っ手を掴み、そのまま力一杯引っ張った。するとなんの抵抗もなく扉は開いて、靴を脱ぐのも忘れて部屋の中へと飛び込んだのだ。
部屋の中は乱れに乱れ、至るところに汚れた衣服や下着、食い散らかしたコンビニ弁当なんかが散乱している。
そんなゴミだらけっていう部屋の真ん中に、薄汚れたせんべい布団が敷かれており、そこに寝ている人物に目をやって、達哉は思わず息をするのも忘れてしまった。
横になっていた人物こそが、あまりに変わり果ててしまった山代だった。
彼は身体をくの字に曲げて、息も絶え絶え、ただただ苦悶の表情を見せている。
そうして達哉が現れたことにも気付かない。
そこで彼は後ろを向いて、千尋の姿に視線を送った。
――やっぱり山代だった!
そんな事実を伝えようとするが、千尋は開け放たれた扉の外で「無理!」といった顔して手を振っている。
達哉は再び視線を戻し、寝ている山代のそばに近付いた。そうしてそのまま咳き込む彼を見下ろして、達哉に気付くのを待ったのだ。
ところが一向に気付かない。
それどころか咳がどんどんひどくなり、達哉は見かねて台所――というより単なる洗面台――へ行き、薄汚れたコップに水を注いだ。
「ほら、水だ……」
そうツッケンドンに言いながら、山代の眼前にコップを出し出す。
すると固く閉じられていた瞼がパッと開いて、差し出されたコップを右手で掴む。それから必死に顔だけを上に向け、右手のコップを口へと運んだ。
ところが顔がしっかり傾いているせいで、口に入るはずの半分以上が溢れてしまう。それでも少しは楽になったか、山代はそこで初めて言葉を発した。
「ありがとう……ございます……」
まるで視線をこちらに向けず、言葉がなんともぎこちない。
――いったい、何があったんだよ!?
そんな疑問を感じつつ、達哉は語気を強めて声にした。
「俺は藤木だ! 俺のこと、覚えてるよな?」
そう告げて、そのままストンとしゃがみ込んだ。
すると山代の顔がちょうど達哉の胸辺り。
そこでやっと彼の視線も達哉を捉える。
――来るなら来い!
翔太から聞いた話だと、山代はボクシングの経験者らしいのだ。
だから前回まったく歯が立たなかったが、今の状態なら絶対勝てる! などと思って、山代の顔をギッと睨んだ。
ところがだ。
山代の顔がグニャッと歪んで、啜り泣くような吐息が漏れる。そうしてそんな吐息が少しずつ、達哉へ向けての懇願へと変わった。
「ああ、すいまへん、すいまへん……ゆるひてください、お願ひ、お願ひ……」
そんな意味不明の声に、達哉は思わず立ち上がってしまう。
すると何を勘違いしたのか、山代は恐怖に怯えた顔付きになり、
「ひえ! ぶらないで! お願ひですから! ぶらないで〜」
右手を掲げて、細かく左右に振ったのだった。