第131話 寿命の壁

文字数 1,003文字

 寿命と天寿はどう違うのだろうか。
どっちも天から授かった命。どうも長生きして逝ったとき、天寿を全うと言うらしい。

 老衰死とは何歳からいうのであろうか。渡辺京二92歳。山田太一89歳。は、まだ納得がいくが、私の脳裏には田中邦衛は壮年である。しかし、享年88歳であり、老衰と報じられた。
 
 納得がいかんのは、柳生博である。信州八ヶ岳の広大な自然の中で暮らしていたはず。
毎年のように八ケ岳の麓へ行って、柳生博の里が気になりながら、怠慢で行けなかったこと
今も心惜しく思う。
 自然の中にストレスもなく生きても、85歳で老衰になるのだろうか。
老衰の定義はあるのだろうか。

 寿命が尽きる2年前を読んでみると、
食事が細くなる。したがって贅肉も落ちる。根が詰まない。活動量が減る。億劫になり
人と会うのもめんどくさくなる。ご機嫌伺いはさらにできなくなる。
 こうなると生きるエネルギーが減っている証である。体がそろそろ人生の店じまいを
しようとしている。体は死に向かっていても脳は理解しない。
 脳はあれも、これもと司令を出す。脳に従った体は体力の復元に長い時が必要になる。

 速い話が先月、津田で大根蒔きを指導した。指導だけしていればよいものを、鍬をとって
楽しんで農耕をした。その夜は入浴もできず、それから5日半病人のようになった。
 己をし知らなくてはと、後になって思うたことだ。

 就活、いうは易しだが90余年の垢はなかなか落とせない。先週、娘が帰郷したので、一緒に
津田の家を訪ねた。壁には私が好んだ絵がどの部屋にも掛かっている。
「あの絵なんとかして」息子は言う。
価値観も趣味も人格も全て異なるのだから、住む人に合わせたらよいのだ。
額は全て撤去した。それでもまだあの家に私の残り香がある。
9○年の垢は霊のようになってこびりついていむる。捨て切れないものを私の6畳の部屋に
閉じ込めた。私が逝ったら、後は娘に流してもらうことにした。
 会社の持ち株を税金のかからない範囲で子供らに贈与した。もっと早くすべきだったと
悔いている。まだ死ねない。なすべきことが残っている。

 娘が帰京したら、途端に疲れがどっと出てきた。
つい先日まで、こなせたものが熟せ無くなっている。老いるとは恐ろしい。憎々しい。
 
 老骨とは言いたくなが老いの身に鞭打って久しぶりに古事記の勉強に、この10日にゆく。
議題は阿波風土記で邪馬台国の論戦は続いている。    12/6









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