第104話 尊厳死協会あれから

文字数 1,233文字

 尊厳死教協会の地区集会があり、2年ぶりに出席した。
高校生が3人出席しており、一同感動して迎えた。グループで
今勉強中とのことだった。
今日は、同志、仲間という親近感がありよい集いだった。
 「人生会議」あり寸劇ビデオあり。もしバナゲームは初めてで
楽しかった。コロナ禍の鬱憤が少し晴らせたかも。
いつも囲む机が異なるので、どなたとも個人的には、
ゆきずりの人たちだ。

 振り返ってみたら昨年の今頃、ここに尊厳死のことを書いている。
倉本聰氏のことを書きたかったのだ。会のイメージがダウンしたので、
反論を協会へ出した。会は核心を飛ばして2○21年夏号に読者の手紙と
して私の反論が活字になった。が、私の意とするところとは違っていた。

 リビングウイル「LW」とは尊厳死を望むことを記した生前
に効く遺言。または生きているうちに発効する遺言と解釈している。
 日本に尊厳死教会(当初は安楽死教会)が発足したのは
1976年1月。私は1993年5月入会しているのでやがて30年になる。
入会したものの、まだ、未だ、遠い先のことと、忘れがちだった。が
ここにきて「やがて死ぬんだ」と切実に思うに至った。
 尊厳死と安楽死は必然的に異なる。
 尊厳死とは、、人間としての尊厳を持って死に至ること。本人が
望まない延命治療を施さず、苦しまず自然死を迎えること。
 安楽死とは、回復の見込みがない病人を、本人の意思に従い、薬物
投与などで人為的に死を早めること。過去に京都洛北病院での安楽死
問題が、世間の注目を集め、末期医療の是非を問われた記憶がある。
日本では「殺人、自殺幇助」に問われるがアメリカでは、尊厳死と
認められていると聞く。
 橋田壽賀子氏は「安楽死で死にたい」との意思を何年か前に
文芸春秋に掲載。そのあと、泉ピン子氏の談話では理想の通り
旅立ったという。
 安楽死思想の始まは、生者必滅の原則から、苦しまずに楽に
逝きたいとの思いから起こったのだろう。
 森羅万象、生きとし生けるものの行く道は、神が平等に
与えてくれた死という一本道。
 今もポックリ寺信仰として各地に残っているように、太古の
昔から、言葉を変え、姿を変えして続けてきたであろう
安楽死願望。
 誰も避けることのできない道だから自分のためばかりでなく、
残された者のためにも、無駄な医療費用はかけたくない。
 協会では「事前指示書」を追加した。
 死期を延ばすためだけの延命措置はお断り。
 苦痛を和らげるため麻薬など適切に使用可。
 持続的植物状態の時は生命の維持装置を中止。
以上の行為の責任は一切、私自身にある。
 要約すれば以上の文言が宣言書に付加された。
 近々にまた新しく、わかりやすい冊子が出ると聞いた。
 
 人間、生き様も死に方もさまざまである。
この会に出合って、やがて30年、知人に話しても
耳は貸すが入会には至らない。入会当時も今も会員は
ずっと300人少々である。需要と供給の原理だろう。
 会員が増えてはその分減ってゆく。
 協会のご苦労もそこにあるのだろう。













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