第95話 壺

文字数 1,107文字

 玄関の下駄箱の上に丸い壺を置いてある。この壺はとても重たい。
昭和50年ごろ、亡夫の友人の息子から50万円で買った壺だ。今、政界まで
巻き込んでいる問題の壺である。亡父の後輩であるが、幼少からの深い付き合い
の後輩はMという。亡夫は挫折の後、このMに随分お世話になった。Mはこの町
では名門中の名門。その御曹司(H)が変な宗教にはまっているという事は聞き
及んでいたが、Mへの報恩のつもりもあったのだろうか?何も聞かずに、あのH
もノルマがあるだろうと、黙って買い取った壺。Mが来訪の時、壺を見て、
「ああ、あんたもイカレタカ」と笑っていたM。

 私はHをよく知っているし、曰くありで結婚した奥方も知っている。二人とも
人格者である。宗教の自由は当たり前。個人の尊厳が脅かされている感がしてなら
ない。旧統一教会の会員すべてが霊感商法をしているのだろうか?亡夫のように抵抗
なく買った人もいるのではないだろうか。貴重な壺だと言っていたように思うが、
私も含めて騙されたとは思っていない。テレビに登場する背の高いツボは40万円と
と言っていた。買った壺は丸型で、ニュースにも出ない。希少なのかも……?

 M夫婦も、息子を統一教会から脱会させようとあの手、この手をつかったが努力
は、全て水疱に帰した。一時期、親と子の断絶はあったけど今、年老いたM夫婦は、
息子夫婦に手厚い介護を受けている。私の息子たちとは次元と違う親孝行である。
 政権まで、揺るがしている教会の霊感商法。息子のことを心配しながら、
老いゆく身のMの心情を思うと、十人十色の持論に重なる。人生とは、幸せとは何ぞや。
地位も名誉も財産も、欲しいまゝに生きてきて、Mは今、親として悲痛な思いをして
いるのでは無いか。人間死んでみないとその人の人生は語れない。虚像は永遠に崩れる。
 悲しんだまま虹の橋を渡るのか。往年のMを知っているだけにMにかける言葉が無い。
運命に翻弄された、親と子を私は見るより方はないのか。日本中にたくさんの被害者が
出ているのに、私は、独りよがりだと非難を受けると思うが、それでも案じている。

 最近になって壺の曰くを知った息子は「ぶち割ってやる」というが、あれは私の私物
割ることは許さんと言っている。50万円と思えば、粗悪にできないというより、40
数年、玄関に座っていると、もう我が家に馴染んでしまった。どんと座ったいい壺である。
 Mと亡夫の友情の証のようなものである。
 誰が何と言おうと、私はH夫婦は霊感商法をしないと信じている。しかし2世も会員で
あると聞くから、親の背中は恐ろしくもあり、大きい。
 今こそM夫婦に会いたいと思うが、このコロナ禍では如何ともせんである。

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