第130話 九十一歳のつぶやき(3)

文字数 952文字

 私は声が大きい。そこで旧知の人も初めて会う人も「お元気ですね」と言う。
元気と言われるのはあまり好きでない。歳なりに控えめに韻が欲しいのだ。
しかし、始めは普通に話し始めるのだが、時間の経過と共に声は凛々としてくる。
喧嘩はお手のもの、いまでも売られたら買う。その上お喋りである。
 佐藤愛子が同じことを言っている。否、佐藤愛子と同じとを言っているのだ。
愛子は飾らず直球を投げてくる。愛子の球は受けやすい。打ちやすい。私は
佐藤愛子という作家が好きなのだ。一方通行だから向こうは何も知らない。
愛犬にしても愛子は「太郎と花子」私は「次郎と花子」似てるなぁ。一人微笑む。
 「九十八歳戦いやまず……」を棚から取り出してめくっている。断筆を決断する
まで右往曲折があったようだ。愛子は良寛禅師を引き合いに出して
「死ぬ時節には死ぬがよく候」前向き後ろ向きどちらでもよい。
身体の向いている方が正面。正面にあるのは死の扉。扉の向こうは、わからない。
扉に向かう。扉は開いて愛子を飲み込み、そして閉じる。音もなく閉じる。
それでおしまい。
 淡々としたこの世の終わりに愛子の生き様を重ねてさもありなんと納得している。
 朝、目覚めたら、ありがたい。今日も生きている。と思う。
 さあ今日一日明るく生きよう。
 月に二回ある読む書くの会も、だんだん億劫になってきた。
そろそろかなと思っている。あの会も私が退いたら、静かになるか、上品になるか。
何と言っても、もう歳ですから。若人の足を引っ張るわけにはいかん。
 デイケアの様子も理解した。一区切りつけたいと考えている。が、
職員がいい人たちなので、何か悪いような気がして迷っている。
 来る年は、身体を鍛えよう。リハビリセンターを覗いてみよう。
 
 今年も雪旅に出たい。新潟や東北への一人旅は無理だろうから、
琵琶湖に雪が降れば琵琶湖へ行くぞ。
雪女の私は深々と降る雪に癒され元気を貰い、小さい夢を膨らませている。
 
 東京の孫に12月、子供が産まれる。大変だろうからばあちゃん手伝いに
行こうか?といえば、
「頼むから上京せんとって、孫の面倒の上、ばあちゃんの面倒まで見えないよ」
と娘は宣う。もう何の役にも立たないのだ。ワッハッハ笑うより他なし。
 九十一歳のつぶやきは、留まるところがない。     11/24日





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