第72話 天空に生きる(3)

文字数 1,014文字

 ヨッシヤンは嘆く。
過疎化と化す故郷を危ぶむが現実は如何ともせん。
何年ぶりかで、昔の仲間(源三郎)さんの墓参りに来た健吉。
その夜は黴臭い空き家のランタンの下で徳利を傾ける。
「さあ一杯やろう」思い出に浸り一人酒の健吉。しかし、
この家が狸の住処になっていることを知る。
 天空の世は明けた。 
「おまはん誰で」山にたった1人で残っている菊婆とゴン(犬)
が訝りながらきた。
「私は、ラクエの息子で、きのう源三郎さんの墓参に来て昨夜はここに
泊めてもらった。何もないが蕎麦ごめ汁をしたから、一杯どうぞ」
「そうかラクエはんの息子か」
 菊婆は久しぶりの人間との会話に心弾ませた。様子が目に浮かぶ。
 この後、菊婆が蕎麦切りを馳走してくれるとになり、待ち時間に
故郷の山をかける健吉。
 昭和には人が住んで集落があった故郷は、草に埋もれた畑と捨て
られた廃屋が点在していた。野生に帰り、とうとう菊婆とゴンだけに
なった在所が、獣の王国になってゆく様子を見て立ち尽くす健吉。
 時代の流れで、なるべくしてなった荒野には、いくつか墓も残って
いるだろうし、過疎と化しても先祖たちが代々暮らした生業の歴史がある。
「誰か後世に伝えて」と山も木も風も無人の家も叫んでいると察する。
この叫び声を健吉は5感に受け止めていることだろう。

 菊婆自慢の2、8蕎麦切りができた。
「さあ食べてみてくれ。まずは汁を啜って、それから蕎麦を
食べるのじゃ。小倉の秘伝の味ぞ」
「これは旨い」
「旨いか。うちも何年ぶりかでそば打ちをした甲斐があったわ」

 人跡絶えたかの、古い里で図らずも出会った健吉と菊婆のたった
1日の心の交わりは私に深い感動を与えた。旅の途中で聞く故郷
言葉に懐かしさを覚えるように、健吉は母ラクエを知っている菊婆
に、母の面影を重ねていたのかもしれない。
 
 日本中に起きている限界集落の消滅を食い止めることはできない
のだろうか。昭和の食糧難の時代に生きた者は、農地は宝であった
先祖の思いを知っている。農耕民族の血を引く者として(株、農業)
は別として故郷の農地と農業の行方を危惧している。過少価値のある
ものを作ったら………。

 少子高齢化の波で数ない子供は大河を目指して出ていった。人間の
尊厳に関わる生活ができなくなれば、致し方ないだろう。Uターンも
あるがその差は、著しいようだ。

 山川草木の話には小躍りする。
 農耕民族の血が騒ぐのだろう。
 ヨッシヤンは92歳益々のご健筆を祈って止まない。













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