第71話 さよなら次郎

文字数 874文字

 生き甲斐のように次郎の世話をしていた。夫。
3年の月日は夢のように過ぎ去った。夫の健康に赤信号が付き
次郎の散歩も体の手入れも、思うに任せられなくなった。次郎は、
なんか月も、小屋と椰子の下で暮らした。巨体のセントバーナード
が一日中、のっし、のっしと歩くには運動場は狭すぎた。その上、
体は寒い国に適合しているらしく、日本の暑さは、辛かっただろう。
皮膚が弱く、ブラッシング出来ないから余計、皮膚の抵抗力が落ち
るので薬を塗り通した。夫は全然世話をしなくなった。できなくな
ったのかも。食事も糞も私が見なくてはならない。しかし、次郎は
夫以外の言うことは聞かない。夫がそのように調教したのだから、
仕方のないことだ。またある時期が来たら、恋人を求めて夜半に、
「ウォー、ウォー」と猛る。その度起きていって次郎に頼む。
「頼むけん泣かんとって」しかし、その場を離れたらまた吠える。
どこからか苦情のくることは覚悟していた。が、
ご近所も我慢してくれたのか、どこからも苦情は来なかった。

 糞を集めに椰子の下に入ると、私に飛びかかってきて倒して馬乗りに
なる。よだれまみれになって、塵取りいっぱいの糞を持って小屋を出る。
夫の分の仕事もあるし、私の神経は限界に来ていた。
 夫は死に病で入退院を繰り返している。
「もう堪らん。次郎をなんとかして」
「わしの留守に次郎を他所にやったら承知せんぞ」
繰り返し、繰り返し、話しても平行線でどうにもならん。故郷の知人が、
欲しかったのだと言って、貰ってくれることになり、小屋もろとも、
とうとう夫の入院中に次郎を里子に出した。
 何と言って詫びよう。居た堪れない日が続いた。
 
 激怒を覚悟していたのに、退院した夫は何も言わない。そのかわり
無口が、いよいよ寡黙になった。夫の本心はほっとしたのかもしれない。

「次郎ごめんな」里子に出して1カ月後、二郎の好きな挽肉とドウナツを
持って会いに行ったが、次郎は、嬉しそうにしなかった。
 それは、今のお父さんがいいということだろう。と、勝手に思いながら、
後悔に身震いした。次郎はわかっていたのだ。
 私に疎まれたことを。





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