第80 春光  

文字数 993文字

 梅咲き、桃咲き、桜咲く九十日間の春の景色を九十の
春光と、たたえたものだ。 
 歳を重ねるごとに大きな花より、小さな花や野に咲く、
名も知らぬ花が愛しくなってくる。 
 誘われて里山へランチに行った。4〜5日見ぬ間に、花は
葉になり、野も山も若葉の季節になっていた。雨後の早緑の
綺麗なこと。 

 昨年の春を思い出している。
遠い過去のように手繰り寄せている。

私の春は、福寿草が目覚め、名残りの侘助が咲き、藪椿が
ほころび、蕗の薹や菜の花に出番の来ることだ。菜の花は
そんなに好きではなかったのに、歳と共に愛でるようになった。
色も優いし、花の命も長い。咲き上がって鞠になり、そよ風
にも、一陣の風にもそれなりの風情を見せてくれる。
また菜の花明かりの夕は、暮れなずむ春の感ひとしおだ。
 3月に入れば大河の堤や河川敷の中州にも辛子菜の花が
咲き次ぐ。花の小国が誕生したかと思うほどの群生だ。
回り道をしたり、時には遠征して、花巡りをした。 
 昼下がりのひと日、大河の北岸へ出かけた。
深い轍に沿って土手を降り花の中で車を止めた。
 雲間からのぞく日矢はすっかり春で、花の中に息しているのは
私と虫だけ。土地にぶつぶつ穴が空いているが虫の姿は目に留
まらない。この季を啓蟄とはよく言ったものだ。
風が、ささやきながら頬を撫でてゆく。
辛子なの花は揺れ続け、大河の水はゆっくり流れてゆく。
お茶を飲んだり、下手なスケッチしたり花の国の春を満喫。
 休日だったせいか土手を行き交う車は少ない。
 花一輪、失敬しようとしたが、辛子菜の花は群生していて
見応えがあるのであって、一輪にはだけは、ほどが良くない。
 手折るのは諦めて帰った。
 我が家の菜の花や諸葛菜は、膨らみかけて三寒で眠った。
仕方なしに色紙で間に合わせている。無名の絵だが、菜の花の
中を通る一本の曲がった道。そこで昭和の子供が戯れている。
着衣は昔の着物を着ている。心なごむ一幅である。

 さ庭に晩生の椿が咲き始めた。位置が気に入らんと何度も
移植したら、弱っていたが今年はたくさん蕾をつけている。 

 小さい山では笹鳴きから老鶯まで楽しんだ。
私の植たF桜も見上げるほど大きくなった。
 もうすぐ春だ。       2020/3月

よほど楽しんだのか上記の殴り書きが出てきた。懐かしい。
終の住処と思って暮らしたあばらやだが、第二のふるさと
(息子の家)だ。明日は田舎寿司でも作って帰ってみよう。






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