第92話 記憶を辿る

文字数 655文字

 ある人は2歳の記憶があると聞いた。
 自分の記憶のページをくってみた。
 昭和12年9月、母の葬儀と同時に初めて父の姿を見た。
記憶回路の最初は図らずも両親である。
それもかなり鮮明に覚えている。この時、私は4歳と11カ月。
リュマチを患っていた母は、結核にも犯され西の離れに
移されていた。伯母は白と紺の縞の着物、叔母はぶどう柄の
着物を着て母の枕辺にいた。
 叔母に呼ばれて、末期の水とは知るよしもなく、固い葉っぱ
で母の口元に水を垂らした。直後に伯母たちが母の名を叫び
泣き出した。

 庭先にいる、いつも遊んでいる仲間を見て臨終の場を後にした。
 母の死が悲しかったかどうかは定かでない。が、友だちに
「泣きよった」と言われるのが悔しいから「泣くまい」と
思ったことは確かなようだ。
 傷痍軍人の父は、真っ白い着物を着て幽界から出て来たかと
思う姿で現れた。葬儀は、どうやら父の帰りを待っていたらしい。

 母の棺は庭を回っている。棺が正面に来ると住職はドラ(鍋の蓋の
ようなもの)を両手でドンガラガーンと鳴らす。あの音は長い間脳裏に
こびりついていた。
3回まわって庭の讃は済み茶碗を割って出棺。33歳というあまりに
早い旅立ちと残された年寄りと四人の子供に思いを馳せ会葬者は、
みな涙したようだ。

 時代劇の映画に出てくるような延べ送りの列だった。
途中田の畔に彼岸花が咲いていた。なぜか今もあの花は好きになれない。
 
 葬儀が済むともう父の姿はなかった。
この後、一年生まで何の記憶もない。母の臨終の記憶は思い出すたびに
新しく、深く刻まれたのだろう。











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