第101話 逝っちゃった。  

文字数 826文字

 七十年の昔、心ときめかした青年も老い9月に逝ったという。
 この世に存在していたただ一人の恩師も逝った。
 息子の友人で、私とも親交のあるN君もサーフィン中、波間に消えた。
このN君は大農の嫡子で商家の令嬢と好き合って、2人して相談にきた
のは30年余も昔のこと。商家の方がおれて、めでたく結婚した。子供も
授かり、順風満帆であった。神があるなら神は酷いことをする。辛くて
通夜にも葬儀にも顔を出していない。
 亡夫の幼少からの友で、両者は蜜月あり、断絶ありと、時には男同士の
戦いを交わしたが、亡夫の葬儀に弔辞を読んでくれたMも旅立った。Mと
最後にあったのは、2年ばかり前。お弁当を作って持っていって、M夫婦
と3人で談笑しながら食べた。Mは既に小食になっていた。その後、入退
院を繰り返して、9月19日帰らぬ人となった。21日には新聞に市町村
議員の旧統一教会のアンケートが掲載された。Mの長男Hは教会の信者で
ある。Mはあらゆる手段を尽くしてHのマインドコントロールを解こうとし
したが、並べて水泡に帰した。その姿を見て「親は寂しい、悲しい」と知る。
毎日、政治と教会の話題が後をたたない。自尊の高いMのことだ。暴かれる
教会の現実を知らずに旅立って良かったとホッとしている。今、Mが生きて
いたら、悲しみ、苦しみを新たにするだろうと思う。
「恩送り」という言葉がある。Mには大恩がある。恩送りをしなければと
思いあぐねている。
 
 3○年来の友がコロナ禍の中、虹の橋を渡った。走馬灯という言葉は
使いたくないが、走馬灯のように巡る。めぐる、彼女との思い出と別れ。
どうして、こうもこの月に別れが重なるのか。神経がズタズタになった。

 生きとし生きる者は皆死ぬ。わかっちゃいるけど、これはお告げか、
何かの前触れかと、心が前向きになれない。今日は9月30。
流れを変えよう、忘れよう。思いを引き摺らないないために纏めて
さよならを言わう。
 あの人も、この人も「ありがとう。そして、さようなら」
 









ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み