第75話
文字数 1,052文字
「さ、早く」
ユウヤは車に乗り込み、あたしの手を引いた。ちょうどそのとき、ポトッ、ポトッと大粒の雨が降り始めた。空は暗く、空気も生臭く、夕立を予感させた。天気にも乗ることを催促されているようだった。
「時間がないよ」
同時に、与田があたしの背を押した。あたしは済 し崩されるように車に乗った。ドアは与田によってバタンと乱暴に閉められ、続いて運転席のドアが開き、与田は乗り込んできた。彼はまたバタンと強くドアを閉めた。
周囲の音が小さくなり、嗅ぎなれない臭い、例えて言うなら、駅のホームに入ってきた電車のブレーキが放つ焦げた臭い、の占める空間になった。
与田がエンジンをかけると、がらがら声のような乾いた音が響いた。振動がお尻に伝わる。同時に、エアコンの吹出口から大量の風が流れ出した。肉や魚、ソースや醤油、煙草の脂 に足の裏の汗、これらを混ぜたらこんな臭いがするのではないかと思われる臭いだった。吐き気がした。しかし、ユウヤや与田は平然としていた。
床はざらざらとしている。よく見ると、吸い殻や伝票のようなものも落ちていた。あたしはそれを拾いあげた。古い領収書だった。
「スナック ラヒ……」
あたしは声に出した。文字がかすれているうえに、薄暗かったので正確に全部は読めなかった。
ユウヤも与田もぱっとあたしを見た。二人とも目を見開いていた。あたしは二人の顔に走る緊張を見て、何か悪いことをしたのかと思った。
「落ちてたから」
あたしは領収書を示した。
「ああ……」
与田はそれを見て緊張を解いたが、その緊張は完全には消えなかった。ユウヤも同じような感じだった。
「それは客のだ」
与田は取って付けたように言った。
「客?」
あたしは訊いた。
「たぶんこの車の持ち主の客」
よく分からなかった。
「この車、代車なんだよ。普段はベンツに乗ってるんだけど、当てられちゃって、それで修理のあいだ代わりにこの車出してもらってるんだよ」
「そうなんですか」
代車なんて初めて聞いた。そんな方法があるのか。それにしても、えらく差があるなと思った。あたしは車に詳しくないけれども、ベンツが高級車であることくらいは知っている。
「じゃ、行こうか」
与田はサイドブレーキをはずし、ギアを入れ、車を動かした。ギアはマニュアルミッションで、与田はクラッチペダルと共に巧みに操作した。ステアリングもまるで愛車のそれのように、慣れた手つきで回した。
それにしても、荒い運転だった。あたしの身体は左右に揺すられ、ときどき前につんのめりそうになったり、背中がシートに押し付けられたりした。
ユウヤは車に乗り込み、あたしの手を引いた。ちょうどそのとき、ポトッ、ポトッと大粒の雨が降り始めた。空は暗く、空気も生臭く、夕立を予感させた。天気にも乗ることを催促されているようだった。
「時間がないよ」
同時に、与田があたしの背を押した。あたしは
周囲の音が小さくなり、嗅ぎなれない臭い、例えて言うなら、駅のホームに入ってきた電車のブレーキが放つ焦げた臭い、の占める空間になった。
与田がエンジンをかけると、がらがら声のような乾いた音が響いた。振動がお尻に伝わる。同時に、エアコンの吹出口から大量の風が流れ出した。肉や魚、ソースや醤油、煙草の
床はざらざらとしている。よく見ると、吸い殻や伝票のようなものも落ちていた。あたしはそれを拾いあげた。古い領収書だった。
「スナック ラヒ……」
あたしは声に出した。文字がかすれているうえに、薄暗かったので正確に全部は読めなかった。
ユウヤも与田もぱっとあたしを見た。二人とも目を見開いていた。あたしは二人の顔に走る緊張を見て、何か悪いことをしたのかと思った。
「落ちてたから」
あたしは領収書を示した。
「ああ……」
与田はそれを見て緊張を解いたが、その緊張は完全には消えなかった。ユウヤも同じような感じだった。
「それは客のだ」
与田は取って付けたように言った。
「客?」
あたしは訊いた。
「たぶんこの車の持ち主の客」
よく分からなかった。
「この車、代車なんだよ。普段はベンツに乗ってるんだけど、当てられちゃって、それで修理のあいだ代わりにこの車出してもらってるんだよ」
「そうなんですか」
代車なんて初めて聞いた。そんな方法があるのか。それにしても、えらく差があるなと思った。あたしは車に詳しくないけれども、ベンツが高級車であることくらいは知っている。
「じゃ、行こうか」
与田はサイドブレーキをはずし、ギアを入れ、車を動かした。ギアはマニュアルミッションで、与田はクラッチペダルと共に巧みに操作した。ステアリングもまるで愛車のそれのように、慣れた手つきで回した。
それにしても、荒い運転だった。あたしの身体は左右に揺すられ、ときどき前につんのめりそうになったり、背中がシートに押し付けられたりした。