第41話

文字数 787文字

河川敷は広く、グラウンドがあった。グラウンドの尽きるところに葦が群生していた。その向こうに川が流れている。対岸の堤防の天端(てんぱ)からは、いくつかのマンションが頭を覗かせていた。

あたしはマンションの一つに目を付けた。そのマンションを精細に描く。そして、そのマンションを中心にし、離れるにしたがって風景を大雑把に描くと決めた。メリハリをつけようとしたのだ。

空は青くする。今日は曇りでも、あたしは晴れた空を知っているのだから、と考えた。

鳥の(さえず)り、風の音がときおり耳をかすめたが、やがて聞こえなくなっていた。あたしは夢中になって描いていた。

突然、画用紙のうえに異物が飛び込んできた。あたしは、うっと息を呑んだ。

異物の正体は竹刀の先端だった。先革(さきがわ)は黒く汚れ、物打ちの部分は原形をとどめないほど無数に裂けていた。

振り返ると、松島が立っていた。

「抜けている」

松島は言った。

「え?」

「抜けているだろ」

松島はグラウンドの方角を竹刀で指した。

そこには走っている人がいた。細身の中年男性で、白のシャツ、白の短パンを着ていた。露出した脚は汗に輝き、地を踏み、地を蹴るたびに、筋肉が浮き沈みを見せいていた。

描くつもりはない。あたしはこう言いたかった。しかし、

「動いている人を描くのは難しいです」

「人じゃない、あれだよ」

あたしには「あれ」が分からなかった。

「あのボックス、トイレだよ、簡易トイレ」

確かに、黄緑色の移動式トイレがあった。あたしはそれを特に意識していなかった。風景の一部なので描くかもしれないが、たとえ描くにしても、順序があるだろう。いまはそのときでなかった。

けれども、わざわざ指摘されたのだから従っておこうと思った。あたしは「すみません」と言って、描き加え始めた。

松島はしばらく立ち去る気配を見せなかった。あたしは圧迫されるように感じながら手を動かした。
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