第136話

文字数 1,005文字

「ゆりさん」

「で、何をすればいいの」

「あ、あの、これ、渡して欲しいんです」

あたしはピンク基調の紙袋を胸の高さまであげた。内容はユウヤの好きな銘柄のお酒とビール、おつまみ、『いしょ』、それに中味を少し減らした物品Yだった。Yについては、唐突にこのようなものに出くわせば、(ふた)くらいはずすだろうと踏んでのことだった。それだけでいいのだ。指紋さえ付けば。

「渡すだけでいいの?」

「ええ、なかに手紙入れてあるんで」

あたしは嘘を吐いた。

「そうなんだ。じゃ、いまから出かけるから。帰ったら、詳しく聞かせてくれる?」

「ええ」

ゆりさんは「まだ冷えるから」と言って、カーディガンを羽織って出かけていった。

窓から見ていると、歩いていくゆりさんの背中が映った。ゆりさんはユウヤに近付くと、じっと立っていた。ユウヤが歌い終わるのを待っているらしかった。

ユウヤが歌い終わると、ゆりさんはユウヤに寄っていき、包みを差し出した。ゆりさんはこちらの方角を指して、何かを説明しているようだった。ユウヤもこちらを見ていた。

ユウヤは嬉しそうに包みを受け取った。頭を()いていた。ゆりさんとユウヤは互いにお辞儀をした。それからゆりさんはその場を離れた。

その日、あたしはネットカフェを出て、二十四時間営業しているレストランに入った。そこでオムライスを食べ、コーヒーをお代わりしながら、途中チョコバナナのサンデーを注文し、午前四時を過ぎた頃に会計を済ませて店を出た。

店を出たあたしは、白みかけた空の下、ユウヤの部屋に向かった。ユウヤは夜更かしをするが、明け方になると必ずと言っていいほど寝る。そうすると寝穢(いぎたな)く眠り続ける。好きなお酒があれば尚更だ。

「もし起きていれば、今回は見送る」

こう考えながら、あたしは歩いた。周辺の新聞配達は、この時間、どこも終わっている。人影もまずないけれども、あたしは敏感になり過ぎていたのか、キャップ帽を目深に(かぶ)っていた。

そうしてユウヤの部屋に着いた。灯りは消えていた。あたしは薄い綿の手袋をはめた。あたしはここに住んでいたのだから指紋があっても不思議ではない。しかし、新しい指紋と古い指紋との区別を鑑定できるのか否か知らなかった。だから一応手袋の準備をしたのだ。

あたしはキッチン前の窓をゆっくりと、ゆっくりと開けた。帽子を百八十度回転させ、なかを覗いた。真っ暗だった。

あたしは寝息が聞こえないかと耳を立てた。さすがに聞こえなかった。

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