第39話
文字数 1,265文字
「何でだよ、怒ってんのか」
「そういうのじゃない」
「じゃ、どういうことだよ」
「おかしいよ、学校でなんて」
「学校だからいいんだろ」
「意味分かんない」
他のことなら、あたしが折れてもよかった。けれども、この件に関しては、もう折れてはいけない気がした。
現実的にも限界に達していると思えた。授業中、頻繁にトイレに行くなんて、やはりおかしい。
自分の意見をはっきりさせると、ヒロのおかしさが際立って見えた。渦のなかで揉まれていた人が、その渦から逃れて、改めてその渦を眺めるように、あたしは落ち着いてヒロを眺めることができた。
「皆、おかしいと思いはじめてるよ」
あたしは言った。
「皆って誰だよ」
「クラスの皆だよ」
「嘘吐 け。お前には誰もいないくせに」
「何よそれ」
ヒロはむきになっていた。あたしは益々冷静になった。
覚めた頭で振り返ってみると、ヒロを好きだと思っていた自分と、無理にそう思い込もうとしていた自分とが乖離 していた。あたしはそれに驚いた。そして、乖離に気付いた途端、ヒロは身近な人でなくなっていた。
「そのまんまだよ。お前ハブかれてるじゃん」
あたしは何も言えなかった。酷い言い草だと思った。
「お前なんて、身体にしか価値ないよ」
ヒロは目を剥いて、吐き捨てるように言った。その唇は、唾を吐くような形をしていた。
あたしたちが立っているのは廊下の隅だった。あたしの視界からその景色が消えた。ヒロの顔だけが目に映っていた。その顔に焦点があたり、目の前で大写しになった。
パチン。
肉を打つ音が小さく響いた。
あたしはヒロの頬を叩いていた。
「って。誰に向かって」
こんどはあたしが叩かれた。あたしは黙ってヒロを見返した。
「ふざけんなよ」
続けて、ヒロはあたしを蹴った。ヒロの顔は紅潮し、何か躍起になっていた。
あたしは、それでも、何も言わなかった。
あたしの沈黙をヒロがどのように解釈したのか分からないけれども、あたしの目には、ヒロが虚勢を隠すために怯えているように見えた。
現実が否応なく見えた。あたしの目は潤んだ。
「何だよ、泣けば済むと思ってるのか。だから駄目なんだよ、お前は」
ヒロはあたしの太ももを蹴った。
さすがに周囲もあたしたちに気付き、遠巻きに様子を窺うようになった。
誰もあいだに入ろうとはしなかった。しかし、偶然通りかかった教師によって、あたしたちの悶着 は終わった。同時に、ヒロとの関係も終わった。
どうしてこういう極端な展開になるのだろう。あたしは当事者でありながら、実感が湧かなかった。夢のなかのできごとを振り返っているようだった。
ごめんなさい、と、どこかで謝ればよかったのだろうか。改めて思った。
いや、駄目だ。玩具扱いを認めてはいけない。理屈ではなく、直感がそう教えてくれていた。
何より、いやなのだ。
「これでよかった」
自分に語りかけた。
「あんなことを続けていれば、いつかおかしなことになってしまう」
あたしは負けずに拒絶した。心臓は高鳴っていたけれども、どこか爽やかだった。
「そういうのじゃない」
「じゃ、どういうことだよ」
「おかしいよ、学校でなんて」
「学校だからいいんだろ」
「意味分かんない」
他のことなら、あたしが折れてもよかった。けれども、この件に関しては、もう折れてはいけない気がした。
現実的にも限界に達していると思えた。授業中、頻繁にトイレに行くなんて、やはりおかしい。
自分の意見をはっきりさせると、ヒロのおかしさが際立って見えた。渦のなかで揉まれていた人が、その渦から逃れて、改めてその渦を眺めるように、あたしは落ち着いてヒロを眺めることができた。
「皆、おかしいと思いはじめてるよ」
あたしは言った。
「皆って誰だよ」
「クラスの皆だよ」
「嘘
「何よそれ」
ヒロはむきになっていた。あたしは益々冷静になった。
覚めた頭で振り返ってみると、ヒロを好きだと思っていた自分と、無理にそう思い込もうとしていた自分とが
「そのまんまだよ。お前ハブかれてるじゃん」
あたしは何も言えなかった。酷い言い草だと思った。
「お前なんて、身体にしか価値ないよ」
ヒロは目を剥いて、吐き捨てるように言った。その唇は、唾を吐くような形をしていた。
あたしたちが立っているのは廊下の隅だった。あたしの視界からその景色が消えた。ヒロの顔だけが目に映っていた。その顔に焦点があたり、目の前で大写しになった。
パチン。
肉を打つ音が小さく響いた。
あたしはヒロの頬を叩いていた。
「って。誰に向かって」
こんどはあたしが叩かれた。あたしは黙ってヒロを見返した。
「ふざけんなよ」
続けて、ヒロはあたしを蹴った。ヒロの顔は紅潮し、何か躍起になっていた。
あたしは、それでも、何も言わなかった。
あたしの沈黙をヒロがどのように解釈したのか分からないけれども、あたしの目には、ヒロが虚勢を隠すために怯えているように見えた。
現実が否応なく見えた。あたしの目は潤んだ。
「何だよ、泣けば済むと思ってるのか。だから駄目なんだよ、お前は」
ヒロはあたしの太ももを蹴った。
さすがに周囲もあたしたちに気付き、遠巻きに様子を窺うようになった。
誰もあいだに入ろうとはしなかった。しかし、偶然通りかかった教師によって、あたしたちの
どうしてこういう極端な展開になるのだろう。あたしは当事者でありながら、実感が湧かなかった。夢のなかのできごとを振り返っているようだった。
ごめんなさい、と、どこかで謝ればよかったのだろうか。改めて思った。
いや、駄目だ。玩具扱いを認めてはいけない。理屈ではなく、直感がそう教えてくれていた。
何より、いやなのだ。
「これでよかった」
自分に語りかけた。
「あんなことを続けていれば、いつかおかしなことになってしまう」
あたしは負けずに拒絶した。心臓は高鳴っていたけれども、どこか爽やかだった。