第97話

文字数 1,025文字

「言え。早く言え。言わないと何度でも」

ヘグ婆は線香を近付けた。

「分からない。知らない。何のこと」

あたしは必死になって言った。もし認めれば、どんな目に遭うか分からなかったし、ヘグ婆と髭男の警戒心が増して、ここに来る男に助けを求めにくくなるとも思ったから。

「さっきの男に言ったことだよ」

あたしは沈黙した。言えない。

ヘグ婆は少し待った。しかし、あたしが言わないのを確認すると、

「そうかい、意地張るんだね」

こう言って、あたしに線香を近付けた。あたしはたまらず叫んだ。

「同棲しようと言っただけ」

「あんたここにいるのに、どうやって同棲するんだい。同棲するためにはどうするんだい。男に頼んでここを抜け出すんだろうがい」

ヘグ婆はライターの火でさらに線香を焼いた。

「そうだろ。抜け出すんだろ。違うかい」

ヘグ婆は線香を不意にあたしの太ももに当てた。

「熱いっ」

あたしは両足の裏で畳を蹴った。お尻が浮いた。あたしの体重が背中にいる髭男にかかった。髭男の上体は後にしなった。しかし、それだけだった。髭男の下半身はしっかりと固定されていた。

「逃げるつもりだったんだろ。言いな」

「違う。あたしはただ……」

「まだ言うか」

ヘグ婆はまた線香をあたしに当てた。

「いやっ」

頭に血がのぼった。何度も何度も同じことを。

再び足で畳を蹴ったとき、あたしの後頭部が髭男の(あご)に軽く当たった。髭男が顔をそむけるのが分かった。軽く当たったにしては、顔を大きく動かしたように思えた。

「これだ」

痛さから逃れたいという思いと、しつこさに対する怒りとがかけ合わさって作られた感情が、冷静さを超えた。あたしは反撃に出た。もし冷静さが(まさ)っていたら、失敗したときのことを考えて、あたしは何もしなかっただろう。

あたしは顎を引いた。体を丸め、反り返ると同時に顎をあげた。足で勢いも付けた。どの動作にも渾身の力を込めた。

あたしの後頭部は髭男の顎に命中した。鈍い感触が頭に伝わった。

「うっ」

髭男は声を漏らした。力も緩んだ。しかし、足りない。

あたしは狂ったように跳ね、頭を前後に振った。あたしの頭は二回に一回は髭男の顎、または顎付近に当たったように思う。

「野郎っ」

髭男は言った。

「おやめっ」

ヘグ婆も言った。

ヘグ婆はあたしに向かってきた。あたしは近付いたヘグ婆の胸を下から右足の裏で受けた。あたしの背中は髭男が支える格好になっている。あたしは右足を思い切り伸ばした。

ヘグ婆が吹っ飛ぶことはなかった。しかし、体勢を崩し、尻餅をついた。

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