第90話

文字数 688文字

「いつからここに」

「最近。騙されて」

「騙された? どんなふうに」

あたしは一方的に同棲相手の借金のかたにされ、睡眠薬を盛られてここに連れてこられたと伝えた。

「同棲? 中学生が何で同棲なんてしてんの」

「お母さんと喧嘩して……」

本当のことは言えなかった。

「よっぽど酷い喧嘩?」

「分からない……」

「お父さんは?」

「お父さんはいない」

「ずっといないの?」

「ずっと……」

「じゃあ、お母さんだけか。心配して探してるのかな。……あ、それはないか。探すんだったら、もっと前に探してるか。同棲してたんだもんな」

母の顔が頭に浮かんだ。

小顔で鼻筋が通っていた。眉がしっかりしているせいか、怒ると一段と恐く見えた。けれども、笑顔は人一倍優しい。怜佳のお母さんは若くてきれい、とよく言われた。しかし、あたしは「若くてきれい」よりも「優しい」と言われたかった。

あたしのことを心配している?

あたしのことを探している?

何かに包まれていた思いが、心のなかで、そっと開かれた。

「ろくでもない親なんだね」

その通りかもしれない。けれども、他人にそう言われるのはいやだった。

「あたしが悪かったから……」

「そうかな。こんな娘が家出しなければならないなんて、普通はないだろ。お父さんはギャンブル狂で、お母さんはキッチンドランカーじゃないの」

「違う。そんなんじゃない」

あたしは「キッチンドランカー」の意味を知らなかったけれども、悪い意味で使われているのは理解できた。

男はじっとあたしを見た。あたしは目をそらさなかった。男は「まあいい」と言って視線を外した。図星を指されたから、あたしが言下に否定したと思ったのかもしれなかった。

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