第111話

文字数 973文字

あたしは「いや」だと叫んだ。そうして、男の顔に噛み付いた。どこを噛もうと狙ったわけではなく、目の前の肉の(かたまり)を追い払おうと、無暗に歯をカチカチさせたのだ。

「あいっ」

こんどは男が叫んだ。男は噛まれたところを押さえ、しばらく唸っていた。あたしが噛んだのは鼻から唇の辺りだったようだ。

「このガキがあ」

あたしは男に平手で連続して叩かれた。叩かれたのはほとんど頬だったが、頭や耳、首にも手は飛んできた。

「女が何してんだ」

最後に頭突きを食らった。鈍い音がし、頭の芯に響くような痛みが生じた。その痛みは頭全体に広がるようだった。あたしは朦朧(もうろう)とした。眠いときのように、意識が遠退()いていく。

男はあたしに罵声を浴びせている。何と言っているのだろう。

男はあたしに何かをした。何をしたのだろう。

風に吹かれる風船のように、あたしの意識はふあふあ、ふらふら揺れている。記憶も定まらない。

ふと気付くと、あたしは部屋に一人だった。眠っていたのだろうか。

「下着がない」

パンティは足首にかかっていた。あたしはそれを穿いた。

顔を探ってみた。少し腫れているのだろう。頬骨の辺りがずきずきと痛む。頬も打たれ過ぎたせいか、締まりのないような気がする。

あたしはごろんと横になった。赤い蛍光灯が目に入る。いつも暗いところにいる。

「あたしは

だ。ほーほー」

ふくろうだったら、自尊心が傷付いたりはしないはず。食うか、食われるか、それだけ。

「そう。あたしはふくろうだから、傷付かない」

しばらく赤い光を眺めていると、廊下に人の気配がした。少しはあたしの怪我を心配してくれるのかと思ったが、その足音は隣の部屋に入り、ややあって、戻ってきた。

「おい、ばあさん、何番だっけ」

髭男の声だった。この問いかけに、下からヘグ婆が答えた。何と言ったのかは分からない。

「サイト―さん? あ、そうかそうか」

髭男はそう言って、隣の部屋に戻っていった。

二階は、階段をあがったところに廊下が左右に伸びていて、廊下に沿って部屋が三つあった。あたしがいるのは、あがってすぐのところにある中央の部屋。いま髭男が入っていったのは、南の部屋で、道路に面している。

耳を澄ましていると、引き戸の動く音や、何やらパタンと閉じる音が聞こえた。隣には押入れがあるのかな、と思ったりした。

髭男がいなくなると、あたしはまた「ほーほー」と歌っていた。

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