第83話

文字数 1,091文字

「手ぇ出したら承知しないよ」

「分かってるよ。そんなの当たり前だろ」

「ホント、だらしない」

眉間に(しわ)を寄せたその表情から、女は話半分に聞いているようだった。

「何もしてねえから」

「やることあんだろ。早くしなよ」

言いながら、女は部屋に入り、乱れた布団を整えた。

「お、おう」

髭男は素直に下りていった。

ブルドッグのような頬をした老女はこちらに顔を向けた。

「聞いたろ。ここで客を取ってもらうから」

汚いものばかり見てきたような腫れぼったい目であたしをじっと見た。髭男と同じ肌をしていた。髪は(ほうき)の穂先のようにぱさぱさしたソバージュで、かなり白髪が混じっていた。

「ここがあんたの部屋。ここから勝手に出るんじゃないよ」

「帰らせてください」

あたしは言った。老女はあたしを無視して続けた。

「お(まんま)は一日二回ちゃんと食べさせてやる。シャワーはあたいが『いい』と言ったときだけ。基本、客が来たときに浴びることになるから。ま、若い娘のそのまんまの匂いがいいと言う(おとこ)もいるがね。それとトイレに行きたいときは、そこのボタンを押しな。分かったかい」

柱にインターフォンが付いていた。

「何であたしがそんなことしなきゃいけないんですか。帰らせてください。母が探します。いつか警察が来ます」

「お母さんが探すんだったら、とっくに探してんじゃないの? お前、何回家出してんの」

言い返したいけれども、言葉が見つからなかった。

「世の中には法律の届かないところがあるんだよ。そこでは食うか食われるか。食うほうだって、いつ反撃を食らって死ぬか分かったもんじゃない。あたいたちはそういうところでずっと生きてきてんだよ。お前みたいな小娘があたいたちをどうこうできるなんて勘違いすんじゃないよ」

単なる脅し文句なのかもしれないが、あたしを恐がらせるには充分効果があった。しかし一方で、好き勝手に言いやがってという怒りも、身体のどこかに湧いた。

恐怖から逃れるためにも、怒りを発散させるためにも、この老女を倒したいと思った。

この老女はあたしよりも小さい。痩せていて、力もなさそうだ。目の前にあるぱさぱさした髪を掴んで引き回せば、あたしでもどうにかできるかもしれない。

しかし、やはりあたしには一歩を踏み出す勇気がなかった。髭男もいる。他に誰かいるかもしれない。もしかすると、与田だって。こんな考えがあたしを動けなくした。

「暴れるのに乗じて大声を出せば、誰か他の人に聞こえるかも」

ふと思い付いた。けれども、ここがどこかも分からない。妙案とは思えなかった。

「助けを呼んでも誰も来ないよ」

老女はあたしの考えを見越したかのように言った。

「ここは女を沈める街だから」
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