第73話

文字数 1,125文字

「娘を探しています」


母親が大きな声で言っていた。化粧をしていたけれども、肌に潤いはなかった。また、全身がくたびれているように見えた。しかし、目は強く光っていた。


その目は訴えていた。皆さん少しでも耳を傾けてください。何でもかまいません、手がかりになるようなことがあれば教えてください。私たちは娘を探しています。忘れないでください、と。


あたしはビラのなかのかすみちゃんの笑顔を見た。事件なのか、事故なのか分からない。どちらであっても、この写真が撮られたとき、かすみちゃんはこんな災難が我が身に降りかかるとは思ってもみなかっただろう。


あたしは顔をあげた。そのとき、大地が大きく揺れたように感じた。


「地震?」


あたしは身構えた。


「揺れて……ない?」


周りを見てみた。それらしき反応をしている人はいないように思えた。


「ちょっと眩暈めまいがしただけなのか」


半信半疑で、こう考えざるを得なかった。


あたしは不思議な思いに打たれながら、歩き始めた。


「他人だけれども、見つかって欲しい」


あたしは心のなかで呟いた。


商店街の途中で右に折れ、バス通りに出ると左に折れ、しばらく歩いてまた右に折れ、ユウヤのアパートの前に着いた。二十分くらいの道のりだった。


ユウヤは外で待っていた。銀色のワンボックスタイプの軽自動車が()まっていて、あたしを見るとユウヤはその車の窓ガラスをノックした。


運転席からヌーッと影が現れた。身長はユウヤと同じくらい。浅黒い顔に目がギョロッと光り、こけた頬には痘痕(あばた)が目立っていた。髪は、ジェルなのかポマードなのか分からないけれども、その種ものもでオールバックに撫で付けられていた。紺色のスーツに濃紺のシャツ。首元を締めているのは黒っぽいネクタイ。よく歩き回るのか、茶色の靴は型崩れし、汚れていた。


「弁護士の先生」


ユウヤが言うまで、全くその存在を忘れていた。


「相沢です」


あたしは相手を弁護士だと認識できなかった自分をごまかすかのように、少し(おお)袈裟(げさ)に頭を下げた。


「弁護士の与田(よだ)です」


与田は笑顔で名刺を差し出した。変な笑顔だった。笑顔の型が顔の底から浮き出てくるような、ロボットが見せるような笑顔だった。あたしは自分の気持ちを悟られないように、下を向いて、受け取った名刺に目を落とした。薄っぺらい名刺だなと思った。商店街でもらったビラと同じくらいペラペラだった。


「経費節約のためか」


あたしは思った。名刺などもらった経験はなかったけれども、住所の記載くらいあってもいいのではないかと思った。それがないということは、この名刺は挨拶用なのだろう。つまり、氏名、連絡先が記されている正式な名刺は正式な依頼者に、今回のように安い客には簡便な名刺を渡しているのではないかと考えた。
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