第126話
文字数 1,428文字
あたしは急いで襖戸を閉め、つっかえ棒をした。そして、ポリ袋に首を突っ込んだ。息が楽になった。
すぐに部屋の外はバタバタとした。髭男とヘグ婆との声が錯綜した。火が出てる。煙が。何でだ。水。バケツ。早くしろ。畜生。この野郎。火事だ。百十九番。あいつは、あいつはどこへ行った。……
襖戸が開けられようとした。けれども、数センチほど動くだけ。
「おい、開けろ」
こう言って、ドン、ドンと扉を叩いた。髭男だった。
あたしは背中で襖戸に体重をかけた。襖戸が横に開かなければ、蹴破ろうとするかもしれないからだ。
「おい、開けろ。いるんだろっ」
髭男は叩くだけでなく、蹴ってもいるようだった。背中に衝撃の伝わってくるのが感じられた。
「あんた、これ」
ヘグ婆の声が聞こえた。バタバタと離れる足音がした。
「全然駄目だ。こんなのじゃ足りない。くそ」
水でもかけたらしかった。髭男もヘグ婆もいなくなり、また戻ってきて、さらに水をかけたようだ。
「駄目だ、あんた、諦めな」
「こいつどうすんだ」
「そんなの何とでもなるから。バイトが休んでたとでも言えばいいんだよ」
「じゃ、金庫」
「いいって。耐火だから。早くしなって」
二人は咳をしていた。その咳が遠退 いていった。ほとんど同時に消防車のサイレンが聞こえてきた。
あたしはつっかえ棒を外した。
「何でこんな物があるのか、あの男は疑問に思う暇もなかったんだね。それに『救急車』って」
あたしは一人で笑いながら、部屋を出た。しかし、炎を見ると、あたしは慌てて金庫の部屋に入った。
既に相当苦しかった。予定外のこの袋がなかったら、この時点でもう終わっていたかもしれなかった。暗いうえに、袋で視界が悪くなっているのでよく分からなかったけれども、この部屋だって煙は相応に充満しているのだろう。もちろん一酸化炭素も。
あたしは横になった。あたしの都合のいい想定では、元気な状態で助け出されるはずだった。しかし、どうもそういう運びにはならないようだった。あたしにプランBはなかった。小さな計算違いだったら修正のしようもあるだろうが、一から考え直すとなると、もうどうしていいのか分からなかった。あたしは甘かった。
「あたしって、いつもこんなだよな」
実際の火を見て、あたしは恐れ慄 いていた。
「もういいか、どうせ終わっているようなものだし」
外では大騒ぎになっているようだった。ここであたしが死ねば、鎮火のあと、あたしは遺体となって多くの目に晒 されるのだろう。
「ゆきちゃんは?」
不意にゆきちゃんの顔が頭に浮かんだ。
ゆきちゃんだって、事故のとき多くの人に見られたのではないか。もちろんそれは、ただ単に、何も知らない第三者に目撃されたに過ぎない。しかし、あたしにとって、意味は違う。人でなしの犠牲者として、姉妹揃 って他人の好奇の目に晒されるのと同じにしか思えなかった。
やはり、じっとしていては駄目だ。いつも、いつも簡単に諦めるな。何としても助からなければ。
あたしは立ちあがろうとした。けれども、身体が重かった。酸欠状態なのだろうか。
「ほんの少しなら、外の空気を取り込んでも大丈夫だろう」
あたしは袋を緩めた。途端に、頭のなか一杯にあった意識が、後頭部の一点に吸い寄せられ、頭蓋内が空っぽになった。全身の力が抜けた。
暗闇に溺れるようだった。
何かに掴まろうとしても、掴まるところがない。
あたしは動かない肉体を動かそうと、もがいた。
為す術もないなか、やがて見えなくなった。
パチパチと弾ける音だけが届いてくる。
すぐに部屋の外はバタバタとした。髭男とヘグ婆との声が錯綜した。火が出てる。煙が。何でだ。水。バケツ。早くしろ。畜生。この野郎。火事だ。百十九番。あいつは、あいつはどこへ行った。……
襖戸が開けられようとした。けれども、数センチほど動くだけ。
「おい、開けろ」
こう言って、ドン、ドンと扉を叩いた。髭男だった。
あたしは背中で襖戸に体重をかけた。襖戸が横に開かなければ、蹴破ろうとするかもしれないからだ。
「おい、開けろ。いるんだろっ」
髭男は叩くだけでなく、蹴ってもいるようだった。背中に衝撃の伝わってくるのが感じられた。
「あんた、これ」
ヘグ婆の声が聞こえた。バタバタと離れる足音がした。
「全然駄目だ。こんなのじゃ足りない。くそ」
水でもかけたらしかった。髭男もヘグ婆もいなくなり、また戻ってきて、さらに水をかけたようだ。
「駄目だ、あんた、諦めな」
「こいつどうすんだ」
「そんなの何とでもなるから。バイトが休んでたとでも言えばいいんだよ」
「じゃ、金庫」
「いいって。耐火だから。早くしなって」
二人は咳をしていた。その咳が遠
あたしはつっかえ棒を外した。
「何でこんな物があるのか、あの男は疑問に思う暇もなかったんだね。それに『救急車』って」
あたしは一人で笑いながら、部屋を出た。しかし、炎を見ると、あたしは慌てて金庫の部屋に入った。
既に相当苦しかった。予定外のこの袋がなかったら、この時点でもう終わっていたかもしれなかった。暗いうえに、袋で視界が悪くなっているのでよく分からなかったけれども、この部屋だって煙は相応に充満しているのだろう。もちろん一酸化炭素も。
あたしは横になった。あたしの都合のいい想定では、元気な状態で助け出されるはずだった。しかし、どうもそういう運びにはならないようだった。あたしにプランBはなかった。小さな計算違いだったら修正のしようもあるだろうが、一から考え直すとなると、もうどうしていいのか分からなかった。あたしは甘かった。
「あたしって、いつもこんなだよな」
実際の火を見て、あたしは恐れ
「もういいか、どうせ終わっているようなものだし」
外では大騒ぎになっているようだった。ここであたしが死ねば、鎮火のあと、あたしは遺体となって多くの目に
「ゆきちゃんは?」
不意にゆきちゃんの顔が頭に浮かんだ。
ゆきちゃんだって、事故のとき多くの人に見られたのではないか。もちろんそれは、ただ単に、何も知らない第三者に目撃されたに過ぎない。しかし、あたしにとって、意味は違う。人でなしの犠牲者として、姉妹
やはり、じっとしていては駄目だ。いつも、いつも簡単に諦めるな。何としても助からなければ。
あたしは立ちあがろうとした。けれども、身体が重かった。酸欠状態なのだろうか。
「ほんの少しなら、外の空気を取り込んでも大丈夫だろう」
あたしは袋を緩めた。途端に、頭のなか一杯にあった意識が、後頭部の一点に吸い寄せられ、頭蓋内が空っぽになった。全身の力が抜けた。
暗闇に溺れるようだった。
何かに掴まろうとしても、掴まるところがない。
あたしは動かない肉体を動かそうと、もがいた。
為す術もないなか、やがて見えなくなった。
パチパチと弾ける音だけが届いてくる。