第29話

文字数 1,483文字

あたしは創希の率直さが(まぶ)しかった。一方で、自分の暗さにため息が漏れそうだった。ただ、あたしにも見栄があった。そういう暗さを創希に悟られたくなかった。

「新開君はクラブ活動はしないの? サッカーなんかうまいんでしょ」

あたしは自然体を装って訊いてみた。

「しないなあ」

こう言ったあと、創希が唇を強く結んだ。

「どうして」

「何と言うか、肌に合わないから、かな」

「そうなの」

「クラブ活動での上下関係が日常生活にまで伸びてくるだろ。そういうのが受け入れられない」

こういう考え方に接したのは、このときが初めてだったので、あたしは軽く打ちのめされた気がした。

あたしが何も言わないでいると、創希は言った。

「名前はあるの?」

「名前?」

「猫の」

突然のことだったので、あたしは話が見えなかった。

「あそこで猫に何かを飲ませてた」

創希の見る先には公園の入口があった。比較的大きな公園で、なかにはテニスコート、ランニングコースなどがある。

あたしはそこで、春時雨(はるしぐれ)のなか、白い子猫にミルクをやったことがあった。

「何を飲ませてたの」

創希は訊いた。

「ミルク、……コンビニで買ったホットミルク」

そのとき、あたしは掌をお椀にして、子猫にミルクを飲ませていた。子猫の細く汚れた首、飲みながら満足そうに漏らしていたその声、掌を舐める舌のくすぐったい感覚が頭に(よみがえ)った。自分の脚が雨に濡れたこと、傘が差しにくかったことなども記憶にのぼった。

「猫、好きなの?」

創希は眉根を寄せて、あたしを見た。精悍(せいかん)な顔。

「別に、特に好きってわけじゃない。寒かったし、濡れてたし、お腹空かせてそうだったし……」

創希は、今度は眉を八の字にするだけで、何も言わなかった。優しいんだね、などと簡単に言わないのが、(かえ)って誠実に思えた。

「見てたの?」

あたしは訊いた。

「見てた」

「どこから」

「さあ、どこからか」

創希は微笑んでいるだけだった。あたしは(つか)みどころがなくて、

「あ、そう」と、答えた。

「で、名前は」

「いや、名前なんてないし」

「じゃ、付けないと」

「必要?」

「うん、必要だよ。また遭遇()うかもしれないし」

あたしは猫を飼ったことがないので、相応しい呼び名など思い付かなかった。出てくるものといえば、タマだとかミーコくらいだった。しかし、それらを口にするのは(はばか)られた。あまりにも平凡すぎた。平凡でも悪くはないのだろうけれど、創希の前では言いたくなかった。

「あそこに咲いてる花、何か知ってる?」

創希が訊いた。

植込みに、白やピンク、赤のツツジが咲いていた。子猫のいたところだ。

「あれはツツジ……」

言いながら、知っている女子たちの顔があたしの目に入った。公園にいたのだ。あたしの身体は凍りついた。

「じゃ、ツツジって、どう?」

「……いいかも」

創希の言葉は、あたしの頭を素通りしていた。

「じゃ、ツツジに決定。ちなみに、ツツジって日本固有の……」

「じゃ、あたしこっちだから」

「え?」

あたしは話を切って、早足でその場を離れた。考える余地なく、身体が反射的に動いていた。

創希が追ってこないか気になった。後方の気配を探ることに意識が集中した。足音を捕捉しようとしすぎた結果、自分の耳が犬のように動くのではないかとさえ思えた。

創希は追ってこなかった。もし追ってきたなら、あたしは走り出したに違いなかった。

突然その場を去ったあたしを見て、創希はどんな気持ちを抱いたのだろう。さぞかし驚いただろう。また不愉快だったろう。けれども、このときのあたしに配慮する余裕はなかった。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み