第72話

文字数 1,238文字

着替える段になって、少し迷った。本来なら制服を着るべきなのだろう。しかし、あたしは模範的な中学生ではなかった。そんなあたしが中学生であることを前面に押し出す制服を着るのは気が引けた。また、制服を着ることは被害を強調するために年端(としは)のいかない中学生を演出するかのようで白々しく思え、これも気が引けた。さらに学校以外の場に制服を着ていくのは気恥ずかしかった。


結局、あたしはジーンズに白のブラウスという普段着を選んだ。他にまともな服を持っていなかったという事情もあった。


あたしは出かける前にゆきちゃんの部屋を覗いた。ゆきちゃんは横を向いて寝ていた。眠っているのか否か、分からなかった。


「お姉ちゃんが行ってくる。まずは第一歩だから。待っててね、ゆきちゃん」


あたしはゆきちゃんの背に小声で話しかけた。反応はなかった。


あたしはそっと階段を下り、表に出た。


夕日の差す時刻、空気は生暖かく、湿気を含んでいた。エアコンの室外機があちこちで独自に唸っていた。機械の作り出す節奏が、妙に重々しく響いた。あたしは「よし」と頷き、駅の方角へと歩き始めた。


ここ数日、雨が降ったりやんだりの天気で、今日も午前中、静かに雨が降っていた。


まだらに乾いている道を少し歩くと、端から中央に向けて大きな水たまりがあった。排水溝が詰まっているらしかった。あたしは水たまりを避けるべく、道の中央に出た。そこへ小学生男子二人の乗る自転車がものすごい勢いで突っ込んできた。


一台はマウンテンバイクだった。その太いタイヤが踏んだ水は斜めに切りあげられ、あたしのブラウスとズボンを濡らした。顔にも少しかかった。


「うわっ」


思わず声が出た。あたしは慌てて濡れたところをハンカチで拭いた。しかし、顔はともかく、ブラウスの水は拭き切れない。困ったと思っていると、怒鳴り声が響いた。


「お前ら、いつまで同じことしてる」


声の主は角刈りのごましお頭の中年男性だった。向かいの寿司屋の店主らしかった。


小学生の二人は偶然水たまりを踏んだのではなく、水の跳ねあげを楽しむためにわざとそこを通っているようだった。自らの服が汚れるのを(いと)わない彼らにとって、他人の服が汚れることなど問題になりようがなかったのだろう。


しかし、店主に促された二人はあたしに謝った。


「ごめんなさい」


彼らが心底反省しているのかどうか、分からなかった。ただ、この場の秩序はこの昭和の頑固親父(おやじ)らしき中年男性によって保たれた。


濡れたところが気になったけれども、乾けばたいしたことなさそうに思えた。家に戻って着替える時間もないので、先を急いだ。


駅を横切り、高架の反対側に出ると商店街の入口がある。人の流れは増えつつあるようだった。


そのなかで、人探しの札を首にかけて声をあげている人たちがいた。あたしは通り過ぎようとした。けれども、何か引っかかるものがあり、よく見てみると、以前張り紙で見た黒崎かすみちゃんの家族とその支援者らしかった。


「まだ見つからないんだ」


あたしは近寄り、ビラを受け取った。
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